僕の物語は終わった。たぶん、物語だったのだろう。それともあれは夢だったのか、だとしたら白昼夢なのか。妙にリアルな夢ってあるよな。でも。
「でも」は無い、とヒロコは言った。だから僕は小説を書こうとしている。それはたぶんこんな小説だ。主人公は38歳のニート、ある日、突然現れた魔法使いヒロコに導かれて…
しかし、疾走感こそ命。
「私は貴方様に身と心を捧げる者だと申しあげました」
「…うん」
正面切って言われると、たじろぐような言葉だ。なんというか、女性から言われるか?こんなの。
「ですから、このような選択を強いるのは私にも辛いことです。」
「ごめん」
「そのお優しさが、きっと勇者の証。」
にっこりと微笑んだ。
「もし、貴方様の世界をその手で壊すのなら、一つお願いがあります。」
「何?」
「上位の世界に帰ったら、本を書いてください」
「本……世界のこと?…虚構を書けって言うんだね」
「はい。」
「ファンタジーを」
「はい。」
「君の世界を。」
「僕なんかに本が」
「貴方は特別なお方だと申し上げました」
ほんの少しいたずらっぽく笑った。
「じゃぁ」
少し、居心地が悪かった。自分が女性にこんなキザなせりふを吐ける人間だとはおもわなかった。
彼女が少し顔を赤らめて微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「名前は?」
「ヒロコ」
「わかったよ。君の国の話を、僕とヒロコがともに戦う話を書くよ。でも」
「『でも』はありません。」
きっとした表情に戻ったヒロコが突然言い放った。
「勇者様におかれましては、われ等の国に来てくださることかなわぬとのこと。さすれば、使命として下級魔法使いヒロコ、この世ばを打ち滅ぼし、勇者様には思い残すことなくわれらが祖国に降臨いただくのみ。」
ああ、始まったのだ。そして終わるのだと思った。この辛かった38年間が。素っ頓狂な1時間が、まるで幻のようじゃないか。一通りの口上を終えたヒロコがほんの少し首をかしげて小さな微笑を浮かべた。(これから破滅の呪文を唱えるのだ)ごく自然にそう分かった。
僕がやることは決まっていた。さよならヒロコ。さよなら、辛かった38年間。ヒロコが呪文の最初の音を出す為に唇を動かしたその瞬間、僕はこの世にあるはずのない、一度も聞いたことのない、読んだこともないその言葉を唱えた
「増田!」
「え、何?」
「変だよ、何言ってんの。へんだよ。俺のこと、ダメな奴だってさっき言ったばかりじゃない。俺、弱いから選ばれたって言ったじゃない。38歳無職だから選んだんだろう」
「その、本当は言ってはいけないのですが。」
少し話しにくそうにする。
「私の国は、貴方の世界からすればファンタジーのようなものだと申し上げました。」
「うん」
「では、貴方の…勇者様の国が実はファンタジーではないかとお考えになったことっはありますか?」
「へ?」
「いま、いらっしゃるこの世界が虚構であるとお考えになったことは?」
ごく、自然に自分の手が頬に伸びた。つねる。痛い。この世界が虚構?そんな馬鹿な。
「私の世界は勇者様の世界から見れば、ある意味虚構です。そして勇者様の世界も、神々のごとき存在からすればある意味虚構なのです」
「普通なら、虚構の中の登場人物は物語を作ることはできません。しかし、貴方は予言の岩が選んだ勇者様。特別な方なのです」
「特別…」
「そうです。お気づきになられていませんが、貴方様だけは、この世界を停止させ、上位の世界に戻ることができる方なのです。」
「嘘」
「嘘ではありません。呪文をひとつ唱えるだけです。」
口にした後、自分の迂闊さにはっとしたが、幸いまだ世界はあった。
「そう。その言葉はこの世にあるはずのない言葉。貴方様がまだ一度も聞いたことも読んだこともないのに、その胸の中にすでにある言葉。」
そう語る彼女の瞳を見ながら、突然電気に打たれたような気分になった。聞いたことも読んだこともないのに知っている言葉。
「お気づきですね。その言葉を唱えるだけでこの世は…貴方にとって実は虚構の世界は壊れます。」
「そうしたらどうなるの?」
「私も私の国も、貴方の国も消えます。しかし、貴方の本当の世界は壊れません。ただ、物語がひとつ終わるだけ」
「そんな」
混乱してきた。
「さあ、もう時間です」
そう言うと彼女が立ち上がった。
「私はこれからこの国を、貴方様の世界を打ち滅ぼし、貴方を勇者としてわが国に迎えます」
「やめてくれ」
つられて立ち上がる。
「一緒に来てくださるか、この国を私に滅ぼされるか、私を殺すか、この世界を貴方の手で滅ぼすか。選んでください」
「できない!」
「もう、待てません。十分にお話はいたしました。後は貴方様が選ぶだけです。」
「そんなぁ」
続き。
「そんな…滅ぼすって」
「仕方がありません」
「脅迫するの?」
「少し違います。この世界はなかったことになります。」
「そんな…馬鹿な。そうだ、嘘だよ。そんな力があるなら自分で妖魔をやっつければいいじゃないか」
「先ほど申し上げたように、この世での力と魔法の国での力は違うのです。私の力など、妖魔の前では赤子同然。勇者様のお力がなければ抗うこともできないでしょう。」
「だったらなぜ君が…」
へたり込んだままの俺の前に彼女が跪き、ゆっくりと答えた。俺の頭にその意味がしみこむのを待つように。
「強き魔法使いでは、勇者様が拒まれたときに、お連れすることができないのです」
最悪のときに拉致を敢行する、その能力だけで選ばれた非力にして最強の従者。俺はその美しい顔をじっと見た。
「嫌だ、行きたくない。戦いたくない。この世界が壊れるのも嫌だ。」
自分でも嫌になるほどの優柔不断ぶり。
「何かほかに方法はないの?」
すこし間をおいた後、悲しげに彼女が口を開いた。
「ふたつだけ、方法があります。」
「何?」
「私を殺してください」
これには、いままで以上に驚いた。怖いとか何とかが全部吹っ飛んだ。
「殺すって…、君を。嫌だ。そんなことは絶対嫌だ!」
「私は所詮この世界の人間で張りません。貴方とは本来交わらない人間なのです」
「だからって、殺せるわけなんかないよ。何も悪いことをしていない君を殺せるわけないじゃなないかっ!」
噛み付くように言い放ったが、彼女は優しげに微笑んで俺の罵倒を聞いていた。
「やはり予言の岩は正しい事を告げてくれました。貴方は本当に優しい心をお持ちです。私は貴方の供に選ばれたことを誇りに思います」
「だって、そんな、そうだ。もうひとつ、もうひとつ方法があるんだろ」
「はい」
「教えてよ」
調子に乗って書いちゃえばら焼肉のたれ
「そういうわけで、さぁ二人で魔法の国に旅立ちましょう」
そういうと、それまでお嬢様風ワンピースだった女はにっこりと笑った。同時に足元から光の輪が舞い上がり、すっと彼女を包む。いや、なんというか輪くぐりをするんじゃなくて、輪が彼女を足元から通り抜けるような、そんな感じ。
「まさか…」
「分かっていただけましたか?」
若干古風なそのいでたちは、紛れもなくファンタジーゲームの魔法使いの姿だった。
「そんな…まさか…」
此れまでは、話半分どころかほとんど信じちゃいなかった。ちょっとイっちゃってる系の女。でも、美人だしちょっとうれしいかなっと思って話していただけ。それが突然、生々しい現実感を伴ってやってきた。鳥肌が立った。
「先ほどの失礼な言葉をお許しください。どうしてもこの世から国へお越しいただき、妖魔どもをなぎ払っていただきたかったのです。私はそのために選ばれ、使わされた魔法使い。勇者様である貴方と共に戦う者です」
「いや、待てよ!俺はなんとも言ってないぞ」
「お願いです!われ等の国をお救い下さい!」
心なしか、彼女は悲しげだった。これまでの暮らしでは話すことすら想像できなかったような美女。その美女が俺に懇願している。共に来て、戦えと。勇者となって妖魔を倒せと。
「…無理だよ」
「…え」
「無理だよ、俺、38にもなってニートだよ、職にも就かず、教育を受けるでもなく、訓練を受けてもいないただのだめ野郎だよ。辛いんだよ、苦しいんだよ!もう十分だよ、何が戦いだよこれ以上俺の人生苦しくしないでくれよ!」
涙が出てきた。立っていられなかった。その場にへたり込んで。泣いた。悔しくて、悲しくて、こんな目に合う自分が、こんな人生を送ってきた自分が哀れで。声を上げて。何年ぶりだろう。声を上げて泣くなんて。ずっと声を押し殺して泣いていた。学校へ行けといわれたときも、就職しろといわれたときも、首だといわれたときも、声を押し殺して泣いた。
「残念です」
嗚咽が停まらない。
「一緒に来てくださると思っていました」
「ごめん」
「お気持ちは察します」
沈黙があった。しばらく二人とも黙っていた。
「で、僕が行かないとどうなるの?」
やっと振り絞った言葉は、ささやくような声にしかならなかった。
「わが国は、妖魔に食い尽くされるでしょう。家も、畑も、山も、海も、空も。」
何もいえなかった。
「私の父と母も」
「ほかの人に当たってよ」
「できません。貴方を予言の岩が選んだときから、われわれの命は貴方にゆだねられたのです。私の身も心も。」
何だって?
涙でぐしゃぐしゃになった俺の顔はさぞかし醜かったろう。しかし、その醜い顔を持ち上げ、俺は口を開けたまま彼女の顔を呆けたように見た。
彼女は優しく言い聞かせるように微笑んだ。
「もう一度伺います。来たりて、われ等をお救い下さい」
また涙が流れた。声がかすれる。
「…ごめん。できないよ」
彼女が悲しそうに無言で微笑んだ。
「どうするの?」
「仕方がありません。勇気と共に降臨して下さるのが望みでしたが」
彼女が少し間をおく。
「無理とあらば力ずくで来て頂くまで」
え?
「嫌だ、絶対行かない」
首を振る。嫌だ。命を懸けるなんて嫌だ。怖いのは嫌だ。仕事がなくてもいい、もてなくてもいい。この世界にいたい。
「そうおっしゃると思いました。嫌々来ていただいても妖魔退治にならないのは承知のうえです。しかし。」
しかし?
「帰る国がなければ勇者様とて腹をくくって下さるでしょう」
決然とした表情で彼女が言う。
「お願いです。考えてみてください。この世界では夢も希望もないあなたが、妖魔の世界では勇者さまになれるのですよ」
「おい、ひどい言い方だな。」
「この世で勇者さまになれるおつもりですか?」
「いや、さすがに無理だろうけど」
「社長にでもなる夢が?」
「そんな高望みじゃ…」
「正社員?」
「いまさら無理だと思う」
「バイト」
「それならなれる」
「たかがバイト風情が勇者さまになるチャンスなんてこの先ありませんよ」
「『たかが』って言いやがった」
「お願いです、我々の国をお救いください」
「救うって、やっぱり戦うの?」
「戦います」
「やっぱりファンタジーっぽいの?」
「竜とか、妖精とか」
「妖精もいるの?」
「悪い妖精ですが」
「悪いのかよ!でもまぁ、ファンタジーならそこそこ怖くないのかな」
「こわいです。殴られると痛いです。あと、殺されたら死にます」
「やだよそんなの!」
「お願いです。お救いください」
「なんで、よりによって俺なんだよ、そんな怖い仕事バイトでも嫌だよ。もっと使える奴を探せよ」
ってのに対する説得力が必要じゃない?
「使える人じゃダメなんです」
「え?」
「妖魔が狙う私たちの世界はこの世の陰の部分です。陽の世界の使える人は陰の世界の使えない人。あなたは陰の世界では勇者クラスですよ。」
「まてよ、ダメ人間認定かよ。もっとダメな奴いるだろ、48歳家族持ち毎日が日曜日とか、23歳働いたら負けだと思っているとか、そうだ、犯罪者とかいるだろう。」
「ダメ人間なら誰でもいいわけないのです。実際、あなたは勇者クラスですが、王クラスではありません。48歳家族持ちの方は、あちらの世界にいくとこちらのご家族がお困りでしょう?23歳の方は改心して職に就くかもしれませんよね?そんな方の未来を摘みたくありません。犯罪者の方は…我々としてもお付き合いしたくありません。」
「じゃ、なにかよ、俺って誰にも頼られてなくて、未来がなくて、あしらいやすい、ダメ人間ってこと?」
「有り体に言えばそうなります。勇者さま。われらの国をお救いください♪」
なんてのはどう?