キモくてもいい。
どれほどキモいと言われても何一つ変わらず、ありのままの自分でいていい。
キモいままで、愛されて、幸せになっていい。
——言うなれば『キモくある自由』が確保されているという前提があって初めて
「他人にキモいと言う自由」が許されると思う。
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