果たしてそうだろうか?
「神を信じている」というのは神の存在を確信しているわけではなく、
存在するかどうか不確かなものを意思の力で「存在していることにする」という状態ではないか?
朝鮮人が毒を流したかどうかは不確かだが、流しているかもしれない、そんな気がする、そうに違いない!
という状態こそ「信じている」という言葉が相応しいのではないだろうか
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