極論を言ってしまえば、「言語化する」ということが出来ているかどうかの基準は、それで感情のエネルギーが下がっているかどうかだと思う。
「言語化する」ことは言葉にならない感情を相対化して客体化することに他ならないので、興奮も不安も(ある程度)解消されなければならない。
「言語化する」ことによってより高揚感を招くのであればそれは言語化ではなく、ただの感情的な叫びだ。
声に出すこと、言葉にすることが言語化ではない。
Permalink | 記事への反応(1) | 18:35
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言語化とはセーブポイント作成でありお経化である そしてテレパシーの補完である