公共の福祉は「自分が不快に思ったものは公共の場から取り除いていい」という意味ではないぞ低能
景観条例全否定ですか
景観条例を、「自分が不快に思ったものは公共の場から取り除いていい」の例だと思ってるってこと?
景観条例も出発点は同じですが そもそも、あなた方は 法令条例制定プロセスに乗せようとしたら、表現規制ダーとお騒ぎになるでしょ? 言論萎縮させる表現弾圧を一切廃して、議会に...
景観条例は「自分が見たくないものを取り除きたい」が出発点ではないが…
景観を個々の表現の自由よりも優先させたいって時点で既にそこに快不快に近い感情が入ってる
景観条例も間違いなく表現規制の一部なのに、そちらを無くせと表示界隈が言わないの 前から不思議に思っていたのだけど、何でだろう?
表自の主張は「すでに十分に配慮・規制されているから問題ない」であって「すべての配慮や規制を撤廃しろ」でないからでは
昔はタバコが吸い放題だったのが今は規制されているように 社会は常に変化していて、公共の福祉の範疇も常に伸び縮みしている 今ある条例・法令が十分に配慮し尽くされたものか...
言うほど全否定か? 公共の福祉は各々で異なる要求を突き合わせて調整する作業なんだから 特定個人の意見だけを通さないのは当然だが
景観条例は、別の形での「表現の自由」とも言えるし、他方で規制なんぞ知るかという人も別方向での自由を主張してるだけでは。自由同士は常に衝突し得るし、衝突した場合には妥...
自称社会の危機管理者の顔を思い浮かべた