「美しい国」という標語の虚飾性は、この言葉が使われた時から感じられていたが、それはこの言葉が所詮は建前であり、この言葉を使う人は、本当の意味で美しい国を信じていない、もしくは、この言葉を使う時に思い描かれる国の姿が、美しさとは程遠いように思われたからだ。
何年も後に、この美しい国という言葉がただの飾りであることが、はっきりと証明されていくとは思っていなかったが。
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