自分自身の中にある宗教性を自覚しなきゃいけない
いや?ちがうぞ? なにか困難に対してカルト宗教に頼らなくても救われることだ。 一度全部から離れて逃げて休んで判断力を取り戻してどこを逃げて、どこを挑むか整理していくことだ...
まず「カルト」と「まともな宗教」を区別しようとする発想から一度離れた方がいいと思いますよ。 当たり前に前提している民主主義だとか人権だって元を辿れば宗教に由来するんだか...
まともな宗教は救いを与えるもの。救われると宗教は不要になる。感謝して宗教に尽くす人はいてもよい。 カルト宗教は救いを与えるが宗教に依存させる。そして金を大量に出させたり...
それが「当たり前」であると思い込むところから狂信は始まるんじゃないでしょうか。 たとえば、いわゆる「カルト宗教」における献金の異常性がしばしば強調されますけど、特別必要...
狂信だとしても当人だけに留めさせるべきだな。当人が信じるのは信じるだろうし考えも変えんだろうが、カネを出させることと、他の人間を騙しに近い手法で勧誘してカルトの一員に...
日本にとっては都合の悪い事態をいっぱい起しているイスラム教が果たして日本にとってどうなのか?、まともで無いとは言わないけど無限に受け入れられるか?とか、カルトでは無く...
なので、カルトの問題となる行動を「犯罪」と「法で決めないとならない」んだよ。 その前にはカルトが問題だと政治とカルト宗教を分けないとならない。