不寛容であることも自由だと思うんだけど。。。その結果どうなるかの責任が伴うだけで。。。
ですから、私は【不寛容なことを肯定しない】、というスタンスですので。
ループしてる、、、
ループするよ。この主張は「自己言及的」なので。たとえば「日本人は嘘つきだ」と日本人がいうのと、同じ。
あぁ、「私にとっての自由」がひとまとめなんだね。 それさー、区別しやすいように、「個自由」とかなんか知らんが言葉を新たに定義した方が良くない? 元の表現だと「自由」だけ取...
追伸。 あと「私の自由」という表現は言葉遊びっぽく聞こえるから「私が自由意志で選択したスタンスは「~」」とか表現にしない?そうするともうループしないよ。
そうすると、タリバンみたいな「許容できない、連中の『自由』」を認めるのか?、ってなるのよ。
選択した自由意志の結果を認めるかどうかは元々別問題。 タリバンの選んだ自由はあくまで彼らのものであって、日本やその他の国のものではないし、もしそれぞれの自由が対立するな...
追伸 表現が足らなかった、相反する自由は、その事実を認知することはあっても、許容することはないかな。 意見は聞いた、でも賛同しない、て感じ。
なんて主語が大きいんでしょうか!!!
自由なんてないのよ。自由じゃないものに、名前がつくのであって。
自由意志と実際に自由に行動できることとには隔たりがあるからね。
他人の自由を、抑制する自由は、あってはいけない。白銀律(「自分がされたくないことを人にしてはいけない」)というスタンスはだめなのかい?
小学生などに教える素朴な考え方としてはあり。 ただ、太陽光を部屋に取り込みたい自由とマンションを建てたい自由の衝突を扱うには朴訥すぎる。(自由を権利と言い換えてもいい)
うーむ。まけたよ。単純に。完敗だ。
私たち、どうやったらこの永劫回帰のループから逃げられるのかしら? もう十年以上も同じ一日同じ話を繰り返してる イヤになっちゃうわイヤンイヤン
自由には責任が伴う、だけでいい。