やらない善よりやる偽善とは昔からいうもので、実際に行動に移す方が偉いというのはわかる。
じゃあ
「やる善」と「やる偽善」はどうだろか。
自分は、善が行動として現れている限り同じだと思う。
裏で何を考えていようと他人に善意に見えるなら同じだ。
でもこの社会では「やる偽善」に比べて「やる善」が圧倒的に評価されている気がする。
Permalink | 記事への反応(1) | 22:49
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偽善者は毎回善いことをするとは限らないからな 今後のことを考えると「やる善」が評価されて当然
長い付き合いなら確かにそうだと思うよ。 でもさ 老人に席を譲るみたいに一過性のものは偽善だろうが善だろうが等しく評価受けるべきじゃない
ひとつの行動だけでいちいち人間をジャッジしていたら社会は安定しないんだよ