歩けない人を助ける機械ができるだろう。手の代わりの機械もできるだろう。いつかの未来には目だって、耳だって、声だって助けてくれる機械が出るだろう。
でも、考えてくれる機械はできるのだろか。仮にできたとして、それは知的障碍者を救っているのだろうか。その時に考えているのは誰なんだろう。また「アルジャーノン」のように外科手術で知力が得られるのだろうか。それ以前に、知的障碍者は、他の障碍者のように、その障碍を解消したいと望むのだろうか。自分が障碍者だと認識できているのだろうか。
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