何かを解釈したり考察したりして、それを表明した場合、評価の対象になる。「確かにそうかも」「それはちがうんじゃない?」といった感じだ。
こうしたやり取りを通じて、何かに対して考究が深められていくのだろう。科学的な問題もそうだし、日常生活でもそうだ。
腐女子は考察や解釈を公衆に対して表明する一方で「ほっておいてください」という姿勢もみせる。このアンビバレンスな姿勢が、批判の一端につながっているのではないだろうか?
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