「寛容」と「無関心」は、異なったことであり得るのではないかなあ?
いわゆる「私は貴殿の主張には賛成しないが、貴殿が意見を述べる権利は尊重する」とか。あるいは、自分は同性愛者ではないが、あなたが同性愛者であることやその感じ方については理解し尊重したいと思う、とか。
「異なる」ことが決定的に「理解」を阻害する壁だとは思わんのよ。もしそうなら、この世に「理解」なんて言葉はそもそも必要ないわけでさ。(←この「理解」には、下の増田が書いてるような「衝突」を含むよ。念のため。)
Permalink | 記事への反応(1) | 21:03
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寛容さをニコニコ笑って摩擦定数が極端に減るような、そんなのを想像していた。 いわゆる「私は貴殿の主張には賛成しないが、貴殿が意見を述べる権利は尊重する」とか。あるいは...