真似される事に関しては、もうとっくの昔に諦めているからいいけど
この人権侵害がいつまで続くのかが気になる。
これを放置したまま「得をしたいからいい事をしよう!」っていうのも
何を馬鹿な事を言ってるんだって感じだ。
そういうめんどくさい事をやりそうな人間に見えないんだが。
もっと楽しく生きたい人間だろう。人に迷惑をかけなければいいんだが。
デューイとかパーソンズの教育論に親しんできたこともあるけど、教育(人為的社会化)とはメッセージの伝達ではなく、体験の配置と組織化だという確信があります。幼児期にどんな体験をしていたかで〈世界〉を触知し得るデプスが異なってくるというのがシュタイナーの最重要メッセージでもありました。
http://twitter.com/#!/miyadai/statuses/27409494115
うちに入らないから正直どうでもいいんだけど、
大学生にもなってこの文章って……、この子これが普通なんて考えてないよねとか、
おせっかいなオバサンは本気で心配してしまいます。
考えるのが面倒くさくなってくると適当な文章を打ってみたり見なかったりしてみたりなんて
というような文章を書いてしまうことがある。
消すけど。
なんか気持ち悪いな。
彼女は間違いなくいい子だからだなんて、そこまで思えるものなのか。
加害生徒がその子の事好きだった、つーのも冷静じゃない人からの根拠不明な伝聞だしね。
被害生徒や、その仲のいい電話相手とか。
良い条件を引き出そうと駆け引きをする人を見ていると
「大人ってこんなもんか」って気持ちになる。特に嫌味ではない。
結局、俺がいつまでも出してもらえないのは
「どうやって利益を引き出すか」考えている人が多いって事でしょう。
めんどくさい。
育てられた環境てのは、本当に大きいなと思う。
例えば、自分の育った家では病気や怪我をするとまず最初に怒られた。
何が原因なのかを問い詰められ(昨日何をしたのか、薄着だったのか、等々)それが全て怒りに満ちている。
翌日になれば、体調が回復しない理由を挙げ連ねられる。
口調さえ普通ならば感じ方も違うのだろうが、とにかく怒ってる。
他の人に「子供が病気になった不安から怒ってしまうのだろう」と言われたことがあるが、
熱のある子供の足引っ張って家の中ふりまわすのも不安からなのか?
まあ、そんな感じで病気になると怒られるという家庭だった。
その後、自分が大人になってからだが、親と同様、自分も、友人などが体調不良になるとまず問い詰めてしまう。
最初の「どうした?大丈夫か?」を言うよりも先に問い詰めてしまう。
一言二言言ったところで気がついて止めることが多いのだが、どうしても問い詰めから入ってしまう。
親にそうされることが嫌で嫌で仕方なかったのに、自分もそうなってしまっている。
人としての根本的なやさしさとかが育たないで来てしまった気がする。
私も聞いていて、やりきれなかった。友人を介して何度か会話をしたときの彼女の笑顔がちらついて、苦しくなった。
横からですまんが
うーん、そうか?
なんか信じ込んでるようだけど
辞退する以上どう思われようとかまわないからだろう。