・私の文章の結論が
「だから私は女性専用車両を増やすようみんなに呼びかけたい」
であれば女性専用車両にいても問題なかったということでしょうか?
すっきりとした文脈になります。
・あるいは、なじる部分を撤回する必要がありますか?
NO
それはその文章の根幹でしょうから
整合性のために幹を切り倒すのはどうかと思います
「見捨てる」という行為になるのでしょうか?
NO
あなたの文章の中では当たらなくなります
・あるいは今回ややこしくなっているのは
私がFさんの体験を元に代弁者気取りで書いたことがあるのかもしれません。
確かに伝聞だけにしては感情が走ってる感じはしますが
少なくとも私はそこを問題視したり俎上に上げたりしたことはありません
というより
そのような人と「薄情な社会」とを何を持って峻別すればいいのかわかりません
「行動や外から見た限りでは同じでも、内心・心意気が違うのだ」というのであれば
私とあなたはあなたの内心を知っていますが
「薄情な社会」の一人ひとりの内心を知らないので、
やはり比べてみることが出来ません
・それとも、単に私の主張に文脈的な一貫性が欠けていることを
指摘されているということなのでしょうか?
文脈的な一貫性が欠けています
前者であれば、要するに逃げるのであれば泣き寝入りしろという
趣旨に見えるのでそれにはやはり反発します。
ここがよくわからなくなるのですが
ひょっとして
「私は逃げるがあいつらの誰かやるべきだ、やらないなら薄情だとなじる」
とおっしゃっているのですか?
もしそうであればこれは乱脈の主張だと思います
言っていません
少なくとも専用車以外の車両についてNoを突きつけたいという
意思のやり場をどうやって確保すればよいのかわかりません。
そこはあまり私の興味とかかわりないですが
そもそも私とあなたでは文脈に関する認識が違っており、
私はあなたのおっしゃる文脈なるものが一貫することの価値を理解できません。
私のいう文脈とは
例えば溺れている人を助けず眺めている群集に
「やいやい お前ら何故助けないのだ 薄情もののおのれ可愛さどもめ」と言ったあとは
「私が飛び込んで助けるから見とれ」に繋がります
「まあ私も濡れるのやだから助けないけどな」に繋がったら新喜劇の文脈です
シリアスな話だと思って読んでいたら
予想外であるし
「これは文脈まちがってないですか」となります
もし文脈の正しさが1つに決まっており、
その文脈的に正しいことが社会的にも力を持ち、
人がその正しさに沿って動くということであれば
私は痴漢などの個別の社会問題について規範を述べているのではありません
誰かを批判したり裁いたりする言葉は
即座に自ずからに擬せられるものであり
もし本人にその了解がなければ即座に新喜劇になる、と言っているのです
http://anond.hatelabo.jp/20100709163250 詳細な回答ありがとうございます。 昨日はかなり感情的になって酷いことを言ってしまったと思いますが 一日寝て、冷静になれているかどうかはわかりま...