2010-06-16

 帰りの列車は苛立ちだけを僕にくれた。

 温すぎる空調が週刊誌中吊り広告を絶えず裏返させ、僕が緊迫した世界情勢について知ったニュースは、「総理が言」という疲れるほど断片的な情報だけだった。あと二十分も混雑した車両に乗っていることが苦痛以外のなにものでもない気がする。満員電車回線はいつでもビジーで、忙しいは社内の動揺を連想させる。

(なんで、僕はこんな仕事を続けているのだろう?)

 同僚の幾人かの顔が浮かび、最終の列車に乗っている自分を蔑視する文句が幾つも浮かんだ。乗換駅でその駅行きの表示をしたままの電車に乗るような気持ち。ほんとにぐるぐるとどこか知らない駅を巡り、降りる駅に着いたと思ったとたん、一時間前と同じ駅を見るような、重苦しい何かが胸につっかかえ、一歩も前に進めない、そんな閉塞感。

 僕は、ネットワーク管理している。

 そういう意味では神さまなのかも知れないけど、実状は誰にでも協力をお願いしなければならない極めて弱い立場なのかも知れない。

 新宿で飲んだウイスキーが効いている。身体の奥にポッと灯った熱さが、自宅に帰れば会うことの出来るあの姿を、今日も脳裏に鮮明に蘇らせた。

 ゆっくり列車が速度を落とし、僕は駅名を確かめ、あと四駅で自宅にたどり着くことを知る。一駅、一駅と進んでいく。儀式のように駅名を読む。それが僕を正常にしてくれるただ一つの方法に思えた。

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