去年の春。就職の為に上京した僕が、新人研修も終わり、東京でひとりで生きていける実感を得始めた頃。僕は唐突に人が死ぬことの実感を得た。
学生時代5年間世話になった友人が死んだ、たぶん。自殺だった。
たぶんと多分に曖昧な言質をとるのは、僕はこれをtwitterを通して、事が起こった一ヶ月以上も後に聞いたからだ。僕はそれまで何も知らなかった。
4月の末日、僕の元に電話があった。学生時代好きだった、女の子からだった。
僕はその女の子に上京前に何度目かの告白して、何度目かの玉砕をした後だった。僕たちはほぼ丸5年年の間付き合ったり別れたり曖昧な関係を続けたりする、ようは非常にはた迷惑な存在だったのだけど、友人はそれを生暖かく見守りながら味方でいてくれた、共通の友人だった。
最後に会った日、帰路の電車の中で「あんたらはそれを一生続けてそうだねえ」と笑いながら呆れていた事を良く覚えている。
友人もまた4月から上京して働く事が決まっていた。僕は5年分の恩を返すに足るとは思わないけど、一度ぐらいはメシを奢るよと約束した。
結局その約束は果たされる事は無かった。
「友人に連絡が取れないのだけど、何か知らない?」
僕は少しばかり友人について彼女と違う接点があった。twitterだ。友人とはtwitter上でそれほど多くやりとりをするわけでは無かったけど、互いにfollowしてはいたし、偶にreplyを飛ばし合ったりする程度の緩い関係はあった。
彼女に聞かれて僕はtwitterを開いた。そういえば、最近あまり発言を見ない気がする。友人のtimelineを覗くと、やはり一ヶ月程前に発言が止まっていた。
4月頭にはメシを奢る約束をするついでに、引っ越しするかも、という話も聞いていたから、ネットが出来ない環境にでもなったんだろう。その時はそう思って、彼女にその旨を伝えて画面を閉じた。
「生きてるー?」
この時もう友人はこの世には居なかった。
当然、数日経っても返事は無かった。流石に心配になった。
僕にとっての一番の手がかりはtwitterだったから、自分のtimeline上で誰か友人が何処で何をしているのか知っているかを真剣に募った。解答は、意外と速く帰ってきた。劇的に。
「自殺して亡くなったらしいよ」
届いたDMにはそう書かれていた。タチの悪い冗談だ。そう思った。「つまらない冗談は止めろ」僕はそう返した。
しかし、考えれば考える程状況証拠は揃っているように感じた。長期間の間、携帯は全て通じていない。毎日大量にtweetしていたのが何の前触れも無く止まっている。ネットワーク上の友人の人格は、ある日を境に唐突に死を迎えていた。
追い打ちをかけるように、友人とtwitter上でおそらく一番懇意にしていたであろう人物から、コンタクトがあった。
そこには友人の本名と共に、友人が亡くなったこと、それが一ヶ月前であること、直ぐに知らせられなかったことへの謝罪が記されていた。
僕は混乱して、取り乱して、泣いた。殆ど確信だった。友人は死んだ。
僕は情報を集める事にした。DMをくれた人物にコンタクトを取り、詳しい話を聞き出した。
5月の上旬に自宅で首を吊って亡くなったこと。友人の携帯の通話履歴をたどって、警察から連絡があったこと。遺書は無く、コンビニに行くと言い残してそのまま逝ってしまったこと。友人の家族はこれが広まるのを望んでいないこと。葬儀のこと。墓の所在。自宅の住所。
僕が知っている情報と、全て整合が取れた。僕は事実だと判断した。嘘にしてはあまりに精巧な狂言すぎた。
僕は最初に電話をくれた子に、この旨を伝えた。また泣いて、お前は音もなく死んだりするなよと残して、電話を切った。彼女には、周囲に不用意に拡散しないように頼んだ。1ヶ月も知る事すら出来なかった僕らが、家族の意志の背いて広めるというのはあまりに思慮が足りないのではと感じたからだ。
結局、何人かに話してしまったらしく、僕に確認の連絡が何度か来た。経緯が経緯だけに信じられない、という所があるようだった。
「家族に電話して聞こうと思う」と言う子も居たが、僕は止めた。どの面下げて「あなたのお子さんは自殺したんですか?」なんて聞けるのだ。聞き方を変えたところでご家族にとっては同じに思えた。家族を傷付けてまで満たす好奇心にどれほどの価値があるんだろう。
僕にはそんな資格は無いと思った。
暫くたっても宙ぶらりんなままだった。住所はつかんでいるのだから出向けばわかることのように思えたが、だからこそ踏み出すことは出来なかった。
結局僕は友人の死を実際のものとして受け入れるのが怖かっただけなのだろう。全てが狂言で、僕は騙されていて、友人は生きている。そんな希望をずっと抱いていた。
それを証明するかのように、よく夢でうなされるようになった。シチュエーションは大体同じで、友人が実は生きていて、ひょっこり顔を出して、騙されたな、と僕をバカにする。十分に悪夢だった
それでも僕は確認しようと行動を起こさなかった。一度、学生時代の研究室の教授に連絡を取って、確認できることが無いか聞いたが、信じてもらえていなかったように思う。僕は相談するのをやめた。
こうして、そのまま1年近くが経ってしまった。未だに僕は何もしていない。うなされることは無くなった。それほど僕は悲しかった訳では無いのかもしれない。
ただ忘れてしまうのが怖くて、今こうやって文章を書いている。
もうすぐ命日だ。友人は本当に死んでいるんだろうか。僕に出来ることは、するべき事は、まだあるのだろうか?