「何で計算とかできないといけないんだ! 計算機で答え出るし!」とか知人の息子(成績下の下)が言うので
「いいかお前、テストの結果が人生の全てじゃないつってもだな。あんまり問題解けなさ過ぎると高校受験にも通らないわけよ。お前、○○の資格ほしくて○○高校に行きたいつってたろ? 今のお前の計算力じゃそこの入試通らないんだよ。お前の生きたい方向で生きるには差し当たりもう少しテスト解けないと無理なんだよ。納得いかなくてもそういうルールだと思って従っておけ、な?」
と言いくるめたのを思い出した。が、いかんせんこの手は「目標がきっちりあってそれが勉強しないと届かない目標である」場合にしか通用しないので一般性に欠ける。
そうじゃない場合は就職時における学歴の重要性とか派遣の悲惨さとかの現実を説明してやればいいんじゃないかな?別に勉強したくないならしなくてもいいけど、一生地べた這いずり...
それはそれとして、「テストでは電卓叩いたりググったりしちゃいけない」というルールが、ますます不合理になりつつあるとは思うなぁ。
えっ、なんで? 外部のツールによる支援なしに、独力で問題を解決できる能力を見ることは今でも十分に合理的じゃないかなあ? まあ、そうした外部のツールをどれだけ使いこなせる...
現代のコンピュータにとってネットワークの利用が大前提になったように、人間の「能力」が演算装置や外部記憶の利用を抜きに語れなくなったという点については同意してもらえると...
それなら入試で電卓が使えるように圧力かけてくれよ。 入試で電卓が使えない以上、計算力に磨きをかけるほかない。
現実の入試で電卓が使えない以上、「計算機使えばいいじゃん!」という子供に対する一番正しい答えは、「この国は暗算ゲームで一等賞を取るとご飯の心配をしなくて済むっていうル...
計算ってのは頭脳を鍛えるツールになる(例:百ます計算) 次からは「頭の筋トレ」とおしえてあげてね。
いやあ、プログラマだからこそ、コンピュータのサポートの限界くらい知るべきだ。計算力も、普段から勉強しておき様々な知識を記憶しておく重要性もね。 俺らは常にバカで、コン...
逆に言えば、暗算や暗記や反復練習は、そういう相場観を鍛えるためにやってこそ意味があるわけで、現状のように足切りのための能力試験に使うのは全く不合理だと思うなぁ。