2009-09-24

世界の再クラスタリングがもたらす未来は?

ネットにあふれている情報はいったいどれだけあるのだろう?その全貌を把握している人はもはや誰一人としていまい。

では今ネットで対面しているこの情報は、いったいどのようにして見つけたのだろう?検索で?SBMで?RSSで?ブログエントリーで?広大なネットの海から自分が欲しい一粒の砂を見つけるためにはどうしたらいいのだろう?

まず明白なこととして、もはや手動ではネットの海の情報を分類しきることは出来ない。

ではどうすればいいのか?Googleが目指すような全ての情報検索可能にするという流れに乗っていけばいいのか?しかし、検索ですらネットの最新情報を手に入れるには遅すぎる。SBMの新着エントリーをチェックしているような方にとってはこの感覚は判っていただけると思う。また、検索とは既に知っているキーワードをもとに行うものであって、まだ全く知らない情報を手に入れるのには何の役にも立ちはしない。すると答えは自ずと出てくる。無差別情報から必要そうな情報だけ手に入れる、フィルタリングだ。

実は情報フィルタリングを我々は既に行っている。検索で、SBMで、RSSで、様々な手段で見つけた情報たちのうち、タイトルや概要で必要そうなものだけピックアップして読んでいる。そうした人力フィルタリングユーザ趣味指向に基づいて自動化しようという流れは既にある。それらのフィルタリングは成功しつつあるし、数年後には大きなブレイクスルーを伴って一般のユーザにも利用されるようになるだろう。むしろ、一般のユーザがそれと気づかないうちに使ってもらえるようになるのならばこの上ない大成功だ。

そうして手に入る情報自分趣味指向を反影したものになった後に起こることは何か?

それはユーザオリエンテッドなクラスタリングだ。

今までの人々はローカルオリエンテッドなクラスタリングに甘んじてきた。生まれた場所、住んでいる場所によって、村や街、都会といったクラスタ自分の意志とは関係なく所属させられたのだ。しかしこれからは違う。自分趣味指向に則して所属するクラスタを決めることができる。

しかし、そうしたユーザオリエンテッドなクラスタリングによって作られたネットコミュニティはよいものなのだろうか?

私は悪いことだと思う。ユーザ趣味指向にのっとったクラスタリングユーザにとって快適なコミュニティをもたらすだろう。しかしその快適さは何によって作られているのかというと『他のクラスタ情報を排除した結果』によって作られているのだ。それは、とても簡単に視野狭窄を起こす。

すでにその断片は見え始めている。例えば、いわゆる『ネトウヨ』と呼ばれている人たちが自分たちの主張を肯定するためのサイトを見て回り、それだけが真実であるかのように大声を上げ、自分たちが『見つけた』真実を信じない人を見下す。彼らは彼らの趣味指向を反影したフィルタリングに引っかかった情報ばかりを見てそれが正しいと思ってしまう。

つまるところ、情報フィルタリングというのは世界を極小化してしまうものなのだ。

けれども、実はフィルタリングやそれに伴うコミュニティ視野狭窄というのはいいものなのかもしれない。他のクラスタの存在を知らなければ、摩擦が起こることもない。人々が気づかないうちに静かに、静かにこの世界を分断し、今までにない全く新しい秩序を人間世界にもたらすかもしれない。

だから、この先ネットを通じて現実がどうなってしまうのかは判らない。ただ、このエントリーを読む人々がいるクラスタというのはかなり限定されているだろう。そういうことなのだ。それは既に始まっていて、もう後戻りできない。そしてその結果が出るまで私たちが生きていることはないだろう。でも、その結果を作るのは私たちなのだ。

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