相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北している
何が違うのか解った気がする(菊池 Blog)
今どき言語論争なんて愉快なことをやってるのがアンテナに引っかかったのでヲチしてたんだけども、勝利宣言キタコレ。
さて。
ネットバトル(藁)の勝敗は傍観者の評価によって定まるとしても、「傍観者の評価」は俺一人の評価と同値ではなく、むしろ多数が形成する「空気」だから、俺が「このバトルは◯◯の勝ちだ」と宣言したところで月桂冠には成り得ないわけだけども、「空気」の一要素として、高らかに宣言しておく。
このバトルは菊池氏の負けだ。
菊池氏の主張というのは結局、「日頃から良い設計でコードを書いていればコードの再利用も容易なはずだ」という「Javaプログラマかくあるべし」論だ。
だから菊池氏は自分の勝利を確信しているだろう。「低能プログラマを叩きのめしたぜ万歳!」
ところが、このネットバトルの勝利条件は「どちらが優れたプログラマか」では無い。もともと他言語との比較でJavaのメリットが問われているから、Javaプログラマを叩きのめしても意味がない。
そこで「優れた設計に基づく既存のコードを簡単に再利用できるのがJavaのメリットだ」と答えても、「その優れた設計に基づく既存のコードというのはどこにあるんですか?」と訊かれる。(ここでの「優れた設計」は、RDBMSがbigtableになりGAEのSandBoxの縛りがあっても容易に移植できる設計でなければならない。)
さて、この問いに胸を張って「いくらでもある」と答えられるJavaプログラマがどれほどいるのだろうか?百歩譲って自身が優れた設計に基づくコードしか書いてこなかったとして、Java界全体を代表して発言してもなお結論が変わらないと言えるだろうか?
つまり、他言語使いに問われた時に「俺の書いたものに限らず、Javaの既存コードはたいてい再利用できる」と言えるだろうか?
答えは否だ。嘆かわしかろうが何だろうが、否だ。
さて、このネットバトルの勝利条件は何であろうか。
それは、「GAEでJavaを使うメリットをより的確に表現する事」だ。
id:higayasuo氏の答えは大要「慣れた言語で書ける事」だ。格好良くはないが、現実的な答えだ。
菊池氏の答えが全く説得力がない以上、id:higayasuo氏の答えの説得力が弱く反論が容易であったとしても、1ピコグラムでも説得力を有する以上は、天秤はid:higayasuo氏に傾くのだ。
G う~れしくって、ぴょーん!