ぼくは今日首相官邸にお邪魔してこの前みたいにまた麻生さんとお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。すると麻生さんも、それを聞いてくれた。また麻生さんも話してくれた。麻生さんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくは麻生さんから聞いた話をブログに書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくは麻生さんとの何回にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後マスメディアにお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンと言ってやった。
客観的に見て、ぼくはガツンと言ってやったと思う。マスメディアにお勤めの方々を前に、日本郵政が抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日麻生総理に対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「言葉の怖さ」についてだ。
言葉は本当に怖い。しかし麻生総理はそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方は言葉の怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと自覚して、それに向き合い、安全な場所にする責任があなた方にはある」と申し上げた。
「それが、日本国の内閣総理大臣としてはもちろんのこと、それ以前に一政治家として、あるいは一人間として、そのことをもっと知って、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。