ジタバタせずに、お縄につけ。
いつもチラチラと俺を見てくる妹がいる。俺の容姿を気に入らない妹はいないと思うが、とくに幼い妹はいやらしい視線で見ていることに気付かれまいと小細工をする。そしてそれが俺に見抜かれていることを知らない健気な動物だ。
正視する度胸はないが、それでも俺の姿をまぶたに焼き付けたい気持ちには逆らえないみたいだ。妹は窓を見ていたかと思うと、俺の後方に座っている別の人に視線を動かす。その視線の軌跡の途中にいつも俺の顔を置くのだ。本当は俺だけを見たいのに、あたかも作為なくたまたま俺の顔が視界に入っただけのように装う。
本当はもっとじっくり俺を見たいくせに気弱な性格が出てしまうのだろう。だが、弱気な妹でも、強気に押してくる妹でも、俺を手中におさめるのは無理だ。妹は、いつか俺をデートに誘い出したいなどと分不相応な考えを抱いているのかもしれない。俺を見て、恋愛感情を持たなかった妹はいないから仕方のないことだが、やがて報われぬと知ってしょげかえる姿が今から目に浮かんでしまう。
妹の視線の動きを掴んでじっと見つめ返し、笑みを浮かべると、どぎまぎして頬が紅潮するのが見てとれた。やましい気持ちが露呈したばつの悪さを感じ取ったのと同時に、俺が妹に興味があるなどと勘違いしてしまったのだろう。俺は何の気もないのに、可哀想な妹だ。俺と瞳を合わせられるだけでも貴重な瞬間だったと今頃何度も反芻しているにちがいない。
"「死ねばいいのに」の人"って思われるの嫌みたいだけどもう遅いw
あんな電波、言及するだけ損な気がする
批判しない時点でアイツらやばいだろう。
ああ。わかる。
あたしも価値観があわなくて、自分をどんどんすり減らして、泣いた時があった。
友達でいたいのに、否応なしに恋愛対象として見られて、恋愛対象としての対応を求められて、恋愛対象として線を引かれる。
それで、どんだけ大好きな友達を失ってきたことか。
ちなみにあたしは友達とセックスできる方の人だが。
「人のせいにする人」は、誰かのせいにする発言をする人。「拗ねる人」は、誰かのせいにする発言はしないけど、心の中ではこっそり思っている人。
「人のせいにする人」は、他人に「自分を振り返れ」とたしなめられることがある。でも、「拗ねる人」は、人にはバレないので他人にたしなめられることが少ない。
拗ねる人は、実は心の中では、他人のせいだ、他人のせいで自分はできないのだ、社会が悪いんだ、みたいに思っているから、自分を磨けず、成長しない。そのくせ、何か失敗をやらかした時に、「お前のせいだ」とは怖くて言えないから、どんどん自分の責任になってしまう。こうして、拗ねる人は、どんどん自分に跳ね返ってくる。
「社会が悪い」、「制度が悪い」、「日本が悪い」。自分では合理的に考えていると思っていたが、いつの間にか、自分が単に拗ねているだけになってしまっていることに気がついた。昨日、それで大失態をやらかして、初めて気がついた。「社会が悪い」のは正しい意見ではあるが、普段からそれを意識しすぎると、自分に跳ね返ってくるということに。
「社会が悪い」と思うことで、これだけ大失態をやらかしてしまったのであれば、「社会が悪い」ということが仮に正しい合理的な意見であったとしても、自分にとっては「社会が悪い」と思わない方がよいのではないか。そう考えられるようになった。いつのまにか、自分の意見に自分の気持ちが浸食されていた。自分のために、「社会が悪い」とは思わないようにしよう。
わかった。そういう2行目みたいなくだらないことを言う人間だからですよ。
特別にそういう人種であるつもりもないんだけどね、
嫌われる一因としてはですね、要するに「知識をひけらかす自分に酔ってる」臭がうざったいんじゃないんですかね。
当然それはただの一因であって異物を排除したがる指向だったり嫉妬だったりってのはあるかもしれませんけどね。