2008-11-12

文章を読める人ってどれくらいいるのかな

文章を読むって、その文章を書いた人の意図どおりに読むことだ。だから、正しい読みというものが究極的にはある。

でも、書いた人の意図というものは書いた人にしかわからないから、読み手としてはいろんな見方をしてできるだけその意図に近づかねばならない。読み手は、自分の読みがあくまでも自分にとって正しく思われるという限定がついていると自覚する必要がある。その、非常に限られた範囲において、読み手は自由でありうる。そういう読み手にとって文章を読むとは、書き手の考えを順に追うだけでなく、書き手の脳に一時的に浸っているような、そういう感じがするものだ。

さて、ここに論理的に文章がかける人がいる。素人として分かり易く、説得力を持って論理的に文章をかけるとしたら、プロでないんだからもうそれで十分だ。

ところが、同じ人に文章を読ませると、これが全く読めない。正確にいうと読める文章と読めない文章とがある。読める文章というのは、同じように論理的かつわかり易い文章で、それしか読めない。読めない文章とは、日本語としておかしい文章は捨置き、含みがあったり意図があったり二重に重なり合っていたり、そういうちょっと凝った文章になるととたんに読めなくなる。たぶん、文章を読む時に自分が書くものと同じ調子で読んでしまうからだろう。だから、文章にはそういう世界もあることが、ついに理解できない。直球どまんなかのものをほのめかしと言ってみたり、自分の世界にひきつけて適当理屈をつけて解釈したりする。この噛み合わなさが、面白いといえば面白いし、絶望的といえば絶望的だ。

はてなーにはプログラマーとかエンジニアとかが多いんだろうが、これだけ文章を書ける人たちなのに、どうしてこうも読めないか。

  • なんだか文体がハックルベリーさんっぽいね。それは置いといて、 理解するということは、自分にとって未知の情報を、自分の中に蓄えられた既知の情報と組み合わせる作業だとおれは...

  • はてなーにはプログラマーとかエンジニアとかが多いんだろうが、これだけ文章を書ける人たちなのに、どうしてこうも読めないか。 読む気がないから。疲れてるし。

記事への反応(ブックマークコメント)

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