プロモーションにおいて圧倒的不利な状況になるというのが普通。
どうしても自分名義で発表したくない(できない)システムというものは
結局のところ世に出ないか、情報の波間に飲まれてしまうのが常であった。
だがしかし、ここで世にはばかられるようなサービスを好むことを明言し
一切の抵抗を持たない奇跡の存在を仮定したとすればどうだろうか。
本来であれば表に出ることのなかった匿名の開発者の手によるいくつかのシステムが
その存在によって発表、プロモーションされることで日の目を見ることとなり
更にそのうちのいくつかは当初の予想に反して誰かを楽しませるかもしれない。
実際のところサービスなどその価値を世に問うて見なければ真価などわからないものではあるのだが
そのためのプロセスは人によってしばしば大きな障壁となることがある。
これはもはや大きな社会的損失であると言って差し支えないであろう。
それを容易に回避できることを考えれば
彼の存在のちっぽけな嘘など瑣事瑣末に過ぎないと断じることはできないだろうか。
ただ、その恩恵を実際に享受するためには
しばしば閉鎖さされた環境で集団を維持するため嘘やお話を共有したことと同様に
ある意味における公然の秘密として、その存在の実際を秘匿する必要がある。
暗黙の了解を語り継ぐための祭り事としてその真実を探る過程を繰り返すことがあっても
決して2択の回答を強いた上で答えるまで寝かさない等といって困らせることがあってはならない。
また、その存在も絶対に自身の所業に関して明確な回答を示してはならない。
あくまで嘘が嘘である間のみ受け取ることが許される恵みなのだ。
そしてそれを共有することによって集団はその結束をより強固なものとする。