非モテがアイデンティティになっている人は、本質的に「自分は社会的抑圧の被害者」というポジショニングをしている。
別に恋人ができたからって、それは変わらない。深く根を張った、被抑圧者としての彼は、いつも噛み付く相手を探している。
その強い意志はどこから来るのだろう。
そうした人間が数多く現れる昨今、これは何を意味しているのか。
もしかすると、かなり深刻で普遍的な社会的搾取/抑圧構造のしわ寄せが、生物としての人間が存続していく上での繁殖行動に対してきているのかもしれない。
個人単体では生きることは許され、ある程度以上保証されているが、子孫を残していくことが社会的に難しくなる社会。
個人が子孫を残すことが社会の仕組みから分割され、自己責任の範囲で行われる「嗜好」に分類される。経済的な成功こそが遺伝子が受け継がれる最大のポイントとなる、生物学とは無関係な気もするけど、とりあえず「そういう遺伝子」が煮詰められ、濃くなっていく世界。
弱肉強食。そんな世界へ、非モテは警鐘を鳴らしているのかもしれない。
これは彼らの個人的な僻み嫉み、復讐などではない。前近代的、非人間的な競争社会の到来を憂えているのではないか。
なんてことを昨日居酒屋でゲラゲラ笑いながら友達と話していた。
床が回っているような気がする。どうして地球は丸いのだ。