2008-06-12

秋葉原に花束を

秋葉原無差別殺傷事件について知ったのは友人からのメッセンジャーがきっかけだった。

まだマスコミによる本格的な報道が始まる前で、ニュー速で勢い13万なんていうスレを見て浮かれていた事を覚えている。

それから徐々に情報が公開されていき、見慣れた中央通りにおびただしい数のパトカー救急車道路を閉鎖している映像や、加藤容疑者警察官が対峙し逮捕へと至る画像、そして血を流し倒れている被害者達を見た。これは只事じゃないぞ、と感じた。

僕は秋葉原に毎週行くようなヘビーなオタクではないし、何かに帰属意識を抱くような人間でもない。

だから今回の事件も今までと同様に、偏向報道をするマスコミアンチマスコミを貫くネットを程よく消費しつつゲームやってるんだろうな、なんて思っていた。

だけど予想とは裏腹に、時間を経るに従って、僕は強い喪失感を抱くようになっていった。

秋葉原は死んだ、という言葉がふと浮かんできた。

「~は死んだ」なんてクリシェを自分が使うことになるなんて思わなかったし思いたくないのだが、そう表現する他ない感情だった。

もちろん地理的な意味では秋葉原はまだ存在する。

だが、事件前の秋葉原と、これからの秋葉原を僕はどうしても接続できなかった。

あの事件は、これからどんな時でも秋葉原に影を落とすだろう。僕が中央通りを横切る時は必ずあの事件を思い出すだろう。

その時に抱く感情は、これまでの秋葉原にはまったくなかった感情だ。僕はたぶん、どこかで秋葉原という街を信頼していたのだと思う。

死とは連続性が失われ、再生不可能な形で唐突に、そして理不尽に切断されることなのだと知った。それは人も街も変わらない。

秋葉原は死んだ。

しかし、同時に秋葉原報道の新しい文化を生み出してもいる。

これはギークが集まる秋葉原だからこそ起きた出来事だと思う。

秋葉原は死してなお、新しい文化を生み出したのだ。本当に偉大な街だ。

今後の秋葉原歩行者天国も暫く廃止するという話だし、実質的な意味でも大分変化していくのだろう。

今はまだその気になれないけれど、もう少し経って心の整理がついたら秋葉原に行こうと思う。

亡くなった被害者達に、そして今はもうない過去秋葉原に花束を添えに。

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