2008-06-07

森博嗣が終わる6

だいたい書きたいことは書いたような気がする。そういえば私、この前Vガンダム最終回ニコニコ動画で見ました。

十と何年かぶりでしたが自分の心にぴたりとはまるものがあった。

ただここ十年ほどは、そういった感情、気持ちの高まりや感動とかが体の中でぐるぐるとしていて、私は存在することそのものに我慢がならない。わたしのほしいものはもうある程度固まりつつあって、それは私の選択と思考の結果、その積層がなすのでしょうが、その中興の礎である森博嗣が、消えようとしている。

何かと向き合うということは極めて個人的なことで、共通見解を持つことも持たないこともあるけれど、最終的に何を引き出すかは全員が違い、それはその人の生き方と選択と、変容であるから、それをもって他人に言うこともないし、他人が言うこともない。出来ないというほうが正しいかもしれない。客観的に私を、この森博嗣に求めるものをその実に個人的な要素をわかる人がいたら、いいえいるとは思えないし、いなくて当たり前だし、いてなんになるというのか。私はほしいものが決まっていて、それは目の前にあって、高台からの眺めは追憶の中にしかなく、今現実に里帰りしても、見ているのは二十年前だとすればそれが生きる力に、遠まわりしてでもなっているのであれば、受容とは本当に個人的な行為で、ここにはもはや森博嗣も立ち入れない。それは私の森博嗣体験であるから。

人文学の成果は知っている。

ただ現実に、実感としてそれをまざっと私に見せ付けたその人のキャリアが最後になろうとしていると思うと、思うと。

スカイ・クロラ、私にしか見えない雲と雲の間で。

スカイ・クロラ、私の最後の道行きの、はるか手のとどかぬ上を。

スカイ・クロラ、私の知らぬうちに気づかぬうちに。

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