似たような状況だな。
そんなこと知らずに、三年前、連絡取れなくなった彼女にマジ切れしてしまった。
「他に好きな人ができたなら分かれよう」ってね。
「そうじゃない」と主張する彼女。とにかく誰とも話したくないのだと。
「わかった。」と伝えて電話を切る。会うどころか、メールも電話も一切やめた。
その間に別の女でも作ってやろうかとも少し考えてしまったが、激務のおかげかそんな機会ぜんぜんなしw
1ヵ月半ほどたって。「だいぶあったかくなったね」とメールを打つと、すぐに返事が返ってきた。
すぐ電話。
「久しぶり」
それから今でも仲良しです。
この冬も1月入ってからすぐ、3週間ほど連絡しませんでした。
それでも仲良しと思ってますよ。
結局、病気なんだから本人自身そういう風になりたいわけじゃない。
そういう意味では、進んで助けないのも助けるうちなのかもしれないなと。
全てを兼ね備えた人が隣の隣に座ってんだけどやっちゃっていいかなあ。
ドンキの中に入ると気が滅入る。なぜだろうか?こんな所にいていいのかと思い悩んでしまう。
食品スーパー、家電量販店、ドラッグストアだと何かしら楽しい気分になれるのに。
あそこに通える人は本当に強い人だと思う。
自分には絶えられない。
これは、冗談めかしいて書いていますが、本気です。もし、宇野常寛さんも望むのであれば、惑星開発委員会という垣根を超え、宇野常寛さんと個人的な友達になりたい。それくらいのことは考えつつ、僕はネット上で宇野さんを「援護」してきたつもりです。
生きるのには忍耐が必要よね。
何に対しての忍耐かはあえて言わない。
それを努力と呼ぶか、あるいは意志と、はたまた自由と。
わたしはどれだけ耐えればいいんだろう。
寄りかかってくる他人に、孤独の痛みに、孤独になりえない運命に。
人から離れれば離れるほど、人はわたしに寄ってくる。
わたしは独立してる。
ごめんね。あなたに依存なんてできない。
死ぬ事を禁止されたわたしの残り長い人生。
わたしは耐え抜けるんだろうか。生き抜けるんだろうか。
この絶叫を、自らの血で生を世界に刻みつけながら、
こんな生きかたを続けられるのかな。不安なの。
実は、わたしはいつだって寄りかかってる。
この不安に、不安をかき消すための何かに。
寄りかかることによって、孤独でいられる。依存しなくていられる。
だから寄りかかってる。
足を、前に出さないと倒れてしまいそうなの。
前に、前に行かないと怖いの。
知ろうとしてる。世界を、自分を。
わたしは知に寄りかかってる。
畏怖さえ覚える、偉大な、最も美しい知に。
共依存になりかかってる。
元増田みたいに他人を親身に考えてあげられる人ほど
他人がエグい状況になったときに陥りやすい。よく今の関係を見てみることを勧める。
「こいつは俺がいなきゃだめなんだよな」って思う状況がさ、
「こいつもう俺がいなくてもいいのかな」になったんじゃないんだと思うよ?
どっちかっていうと「彼女は自立しようとしてるんだ」ってことなんじゃないすか
自立がどんな形なのかわかんないけど、
彼女が自立できたときに、元増田はたぶん共依存に気づかれたらまた違った意味でふられちゃうよ。
こゆときだからこそ、元増田がしっかりどーんと自立しとかな。
やっぱり版権物とかCDの音源そのままのものとかは、後ろめたい気持ちが働くのか、
ブクマされることがない。再生数が10万超えていてもアニメ本編の動画のブクマ数は0または一桁であることが多い。
いずれ消される可能性の高い物をブクマしても再検索したとき見られないということも理由としてはあるだろう。
しかしやっぱり、著作権的にグレーと言われている動画をブクマすることによって、
女が不機嫌になるのは男がオナニーするようなものだと思う。
女の理由の無い不機嫌は、よしよしいい子だねーって可愛がられたいだけ。そういう自分が可愛いだけ。
泣くのも同じ理由。
だから恋人の前か一人でしか出来ない。
大衆の前でオナニーさらけだせないからね。