逆に自分の場合なんかは女に生まれりゃよかったと思ってるクチ
どうも女性からは異性として見られず友人として扱われ
「いい人」止まりで終わってしまう
こういう人同士が付き合ってきゃうまくいくのかな
匿名だけやってるから駄目なんじゃん。
そこまで民主主義云々の深いレベルの話じゃなくて単にバカに説明するために話を単純化した例なんだから、変な揚げ足とってまた違う方向に持っていかなくても。
つかあんたの意見は「ナチスも民主主義的な手続きの元で誕生した権力だから民主主義」ってやつと同じだな。
まあそういう考えにも一理あるんだろう。
ただ、その行き着く先は大方の場合、「諸個人の意思の集合」とは合致しない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/24/news085.html
http://b.hatena.ne.jp/mine-o/20080124#bookmark-7203165
なるほどつまり
同一性保持権
同一性保持権とは、著作物及びその題号につき意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(著作権法 20条1項)。著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられている。
なお、ベルヌ条約上の同一性保持権は、著作者の名誉声望を害するおそれがある改変を禁止する権利になっているのに対し、日本の著作権法では、そのような限定はされておらず、著作者の意に反する改変を禁止する権利になっている。
なお、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じないと解される。
例外
(略)
翻案権との関係
(略)
(略)
か
名誉声望保持権
著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画を風俗店の看板に使用する行為などが該当するとされている。
なお、ベルヌ条約上は、「著作物の創作者であることを主張する権利及び著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利」として、同一性保持権と名誉声望保持権が一体となっているが、日本法では改変等を伴わない場合を独立して扱う規定となっている。
ということで、
国内初、ウイルス作者逮捕 CLANNAD画像の「著作権侵害」で - ITmedia News
を
か
とすればみんなスッキリなのでしょう
か。
http://anond.hatelabo.jp/20080127041115
削除しなくてもいいけど削除した方がいいよ。アレな人のパワーは本当にすごいから。そういうのと対峙するのは本当に大変。アレな人が実際にイカレている場合だってある。犯罪に巻き込まれることですらあるだろう。大事な妻と子供がいるなら尚更。対峙したり対決するメリットが全く無いし。表現者として生きている人なら別だろうけどさ。
とにかくああいう手合いには勝てない。一般的日常生活を送っているなら、対応するだけで煩わしくてしょうがない。
自分が男に生まれていればなぁ、と思うことがよくある。人にも、特に男性に「どうしてきみは男に生まれてこなかったんだ」と言われる。いつもそう言う上司がいるのだけれど、実はその人に限らず、中学のころの同級生やら、もと同居人やら、仲良くなった男友達にはたいてい言われる。そう言われると、嬉しい。男の子の仲間に入れてもらった気分。
中学高校の同級生の男友達にも「女がいないからいえるけどさー」みたいな会話の時にも仲間に入れてもらったし、今でも、夜遊びに行くときに、ボーイズナイトとかいって男だけで女の子を引っ掛けに行く夜遊びにも混ぜてもらえる。仲よしの男友達に彼女ができても嫉妬はしないけれど、自分みたいに男友達みたいにつるむような女友達ができたら、たぶんちょっと嫉妬すると思う。
自分の中に、理想の女性像みたいなのがあって、今の自分はそれの対極にいる。これは間違いがない。ただ、それだからといって、その理想から対極にいる自分が嫌いか、というとそう言うわけではなく、自分が男だったらなぁ、と思うのだ。
素敵な女性がいると、ああ、素敵だなぁ、と思う。自分のなかの理想の女性像に近いような人がいると、ああ、なんて素敵なんだろう、と、その人を眺めてしまう。自分がそうなりたいのか、というとそうではないのだ。ああ、素敵なひとだ、と思うだけなのだ。
逆に、素敵な男性がいると、わたしはその人のようになりたい、と思う。その人とあれこれしたい、じゃなく、そのひとみたいになりたい、と思ってしまう。だからどんどん男性化してしまうし、一緒になって遊ぶし、男だったら許されるけれど、自分の理想とする女性像からかけ離れた行為をしている自分に、はっときづき、あ、わたしは男じゃなかったんだ、と、がっくりする。ふと気づくと、ますます男らしくなった自分がいて、ああー、なんで男じゃないんだろう、と思う。
わたしがイマイチ男性とうまく恋愛をしていけないのは、自分が男だからなんじゃないかと思ってきた。すごくすごく好きな男性=そうなりたい、という尊敬の対象、になる。だから、それは恋愛ではなくて師弟愛みたいになってしまう。いっしょになってくっついているわたしを女性としてではなくて、そのひとの仲間、みたいな、なんというか、可愛がってくれると、すごく嬉しい。
いつも、自分のことを好きになるような男性は好きになれないのだと思っていたけれど、なんか違う気がしてきた。わたしのことを、男友達や、弟子のように見てくれる人が好きで、わたしを女の子として見るひとには「やめといたほうがいいって、あいつ(自分)は友達にしといたほうがいいって、絶対」と、自分を好きになってくれるひとなのにツッコミを入れてしまう。だって、女じゃないモン。こんな女にうつつを抜かすような男は問題外、だ、と思ってしまう。同じ人でも、他の女の子にうつつを抜かしているのを見ると、なんだかほほえましくさえ思える。
だから「わたしのことを女性として好きになってくれるひと」=一緒につるみたいひと、ではない。それまで男友達みたいにつるんでいた人から、女性扱いされたとたん、あんたどうしちゃったのよ、と思う。だから、友達から恋人に発展するというパターンはないんだ、わたし。
その逆はあり。恋人から始まってすごくすごく尊敬するようになると、ああ、この人みたいになりたい、と思って、恋愛関係でいるのが嫌になる。師弟愛のほうがいい、と思ってしまう。女性としてその人を見ているのではなく、男性、或いは一人の人間としてその人がすごく好きなだけで、もし自分が男に生まれていても、同じように慕うだろうな、と思ってしまうのだ。もし男に生まれていたら、わたしはホモになっていたと思う。
自分のセクシャリティがよくわからなくなってきた。
たぶん、女より男が好きだ。でも、その好きになっている主体の自分は、女ではなくて男のような気がする。女の子をみるときも、だから、女の子らしい女の子が好きだ(自分とは正反対)。可愛い子がいると、単純に、あーかわいい! と思うし、女性らしいしぐさを見ると、素敵だなぁ、と思う。
それに、わたしはけっこう女の子とも一緒につるめる。女同士のだらだら会話だって楽しめるし、実はもう長いこと女の子とシェア生活をしている。でも、もし、彼女が男でも、同じように暮らせるだろうし、女同士でまったくなにも問題がない。女だけしかいない家って気楽でいい。「女だけの生活」って「わたしを男扱いする男友達との関係」と似ている。ぜんぜん違うんだけれど、すごく似ている。
男になりたい、というか、なんで男じゃないんだろう、と思う。だから、男友達みたいにつるんでくれる人がいるとすごく楽しい(だいたい自分の男友達はそう)。でも、トムボーイ願望はないし(スカートとかハイヒール好きだし、毎日スカートで出勤してるし、レースもピンクも大好き)、女性に対して性欲を覚えるというのは多分ない(男性に対してもあんまりないけど)。
自分の周りにも、ゲイとかレズビアンとかいるけれど、彼らみたいに確信を持って、そこまでじぶんが非へテロだとは思えない。でも、ヘテロである確信もない。
男の人に抱きしめられたらどきどきするけれど、女の子にされてもすごくどきどきする。相手が男だからどきどきしているわけではなくて、抱きしめられるとか、そういう行為にどきどきしているだけのような気もする。
ジーンズを履いていると、すわるとき足を広げてしまう。喋り方も男っぽくなる。男友達とつるむときには、ジーンズで行った方が、一緒に肩を組みながらビールを煽れる。スカートでハイヒールで行くと、なんとなくまたちょっと気分が違う。男性と肩を組んでビールを酌み交わす女性というのが、女性としてはとってもはしたなく見える。でも、自分が男のつもりの時は、むしろそうするほうが自然なのだ。
「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言われる反面、すごく女性的だとかいわれることもある。両極端らしい。不思議と、女の子扱いされるのも好きなのだけれど。なんだか、洋服にしてもしぐさにしても、コスプレ気分なのかもしれない。女の子っぽい格好のときは、女の子にみられると、今日のコスプレ成功、みたいな。
一番いいのは、「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言ってくれるようないつもつるめる男友達と、擬似夫婦になることかもしれないなぁ、と思う今日この頃。30になっても嫁の貰い手なかったらもらってやるよ、と言ってくれた友達が数人いたけれど、もうすぐ30。最近、なかよしの男友達と、20年後くらいに結婚しようか、なんて話をしたりもする。それはなんというか、男友達みたいなこの関係を続けたくはあるけれど、一応結婚もしといたほうがいいよな、という、ある種の、偽装結婚のようなものを想定しているわけですが、でも、そういう事を言ってくれるような、いつもつるめる友達だったらうまく行くような気がする。
つまり、恋愛はしていないんだけれども、それぞれに恋人や配偶者ができて、それが原因でつるみ続けることができなくなるのであれば、まぁ、つるめるあいだはつるんどいて、それが不自然な年齢になったら偽装結婚でもすりゃいいじゃんよ、というような。実際、そう言う友達というのは、一緒にいないというのが不自然なくらいであって、ただ、でもそこにはロマンチックな恋愛はないだけ。もしくはそれがわたしの恋愛の形なのか。とすると、一人に絞るのは難しいなぁ、みんなだいすきだもん。
わたしのことを女性として見る人には、ちやほやしてくれるぶんにはすごく楽しいけれど、実際付き合うとかなると、わたしが嫌気を覚えてしまうか、相手が物足りなくて去ってしまうか、どちらが先に来るかの違いでしかなく、いずれ破綻するような気がする。
レズビアン、ではないと思うのだけれど、ノンケとも違う気がする。いうなれば、ホモ。でも、自分の性別はやっぱり女なので、外から見るぶんには、ノンケ。でも、ノンケじゃないの。なんといったらいいのかな、こういうの。
IT畑の人は面白い発想をするものだ、と思う。たかだか半世紀。中性紙で現物を残すか、せめてマイクロフィルムを残していれば済んだ話なのだが。
投票って要は自分の話をきいてくれそうな人を選ぶっていう行為なんじゃないの?
見知らぬ善人より身近な悪党とかいうけど、
悪党でもなんでもいいけど、
要は自分の意見を総合的に代弁してくれる人が政治家をやるべきで、
まったく見知らぬ人に投票して、政治家になった後もなにやってるかわかりませんってんじゃ、
そりゃ投票率も落ちるわ。
票があつまるのもうなずける。
せめて、2中継以内の人に投票したいね。
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お前さんが何を「分かってない」か分かったから、これ以上ないくらい易しく説明する。
だから、投票に行かない人は結果的に民主主義を退行させる役割を果たしてる、という話。投票しないのが「自分の意見」というなら、その「意見」は「民主主義いらね」って意見でしょ、ってことだよ。
だいたい投票率が30%程度の選挙で、「必ず勝てる」と言えるために買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?
同じく、投票率が80%の選挙だったらどうだ? その場合買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?
で、選挙民の15%を掌握するのと、40%以上を掌握するのと、どっちが手間がかかりかつ危険だ?どっちが金権選挙をやりやすい?小学生でも分かるな。
棄権行動は金権選挙を「やりやすく」する。「だから」民主主義の敵なんだ。
お前は「棄権=多数派容認=オレを攻撃する奴は少数派支持者」という頭で凝り固まって人の話を聞いてない。「投票率が下がる」ことが「民主主義を退行させる」と言ったのは、誰に投票するかという話とは全っ然関係ない。お前はそこが全く分かってない。
最初から「多数派候補にいれるのは民主主義者。棄権者は反民主主義者」と言ってるわけで、最初っから最後まで棄権者を叩くことしか目的にしていませんが何か。
それはそうと、理屈も述べられないのにそこまで強硬に棄権をお勧めするあなたは、ひょっとして「組織票うめぇ」な某宗教の人ってことですか。
そりゃ、健康な人間でも喜怒哀楽はあるわけで。っていうか、健康だからこそ喜怒哀楽があるわけなんだが。
そのたびにセロトニン、ドーパミン、アドレナリン…etcを分泌してるってことだろ。
元増田に関して言うと、好きなもの・欲や興味のあるものについての刺激を受けると「やる気」が出る。しかし、仕事が好きでなければ「やる気」も出ない。当たり前といえば当たり前なんだが、これは脳科学でも裏づけが取れた。
中学生頃にありがちな「流行には乗らないぜ!」とか言って結局それはそれで流行に流されてるだろう、というのと同じ匂いがするね。
政策等見た上でダメだというならわかるけども
なんでもかんでも最近は具体例を求める人がいるけど
この場合は具体例はさして重要ではないと思う
究極的に言えばいなくても構わない。
仮にいたとしたらそいつはバカであるという図式でも主張はたいして変わりはない
実際にいなかったらこの主張がまるまる誰にも該当しなくなるだけの話だし
仮に具体例を!といわれ答えられなかったからといって彼(彼女?)の主張が変わるわけでもないだろう。