っていうか自殺しちゃった人、がどのくらい本気かっていうのは、死なれてみないとわからない。
死んではじめて、「ああ、ホントに死ぬ気だったんだ…」とまわりには伝わる。
誰かが、「本当に死ぬつもりだったら、少しでも失敗しそうな方法は使わない」と書いてたのを読んだことあるけど、ある意味、そのとおりだったり。
自殺未遂を重ねてる人が、失敗のたびに着々と学習していたことに回りが気づくのは、彼が無事に自殺を遂げてからのことだった……なんてこともあるし(回りは何してたんだ、っていうツッコミだけはやめてあげてね。つかやめてね)。
「本当にやりそうな気配」ってやつは、たぶん、経験がないとなかなか感じにくいんじゃないかと思うけれども、そんな経験積みたくないよね…。
「確実に死ぬこと」のために生きているような状態の他人に、「生きていろ」って言えるかな。
「生きろ」じゃなくてせめて「死ぬな」? でも「死」を否定したら、いま現在生きてる理由がなくなっちゃう。それはやっぱり、ただ「生きていろ」って言ってるのとおんなじじゃないかな。
それともこーゆーの、ただの言葉遊びか?