メジャーで古くからある宗教は、科学という価値観に晒されて、鍛えられて、非科学の領域にのみ存在するようになってるんだよね(まぁ、境界があいまいなところは怪しかったりするけど、普通の人はそんなところには触らないし、用も無いよね)。
この「信じる」ってのは、人間にとって、すごく重要な要素なんだよね。
人はすべてを完全に知ることは出来ない。どうやっても無理。人の心、未来、自分自身。
必ず知らない事が存在する。それを楽しめる時もあるけれど、不安になることも多い。
そんな時、人は不安を解消するために「信じる」。「彼女は僕を好きなはずだ」「このプロジェクトは成功する」「夜は明ける」
信じることで不安を解消するのだが、ここで重要なのは、信じた事が正しい/正しくないにかかわらず、不安は解消されるという事。
ニセ科学はここに入ってくる。不安を持つ人は、正しい/正しくないよりも、信じれる「もっともらしい言葉」に惹かれるんだ。
そこは宗教も似たようなもの。ただ、宗教が違うのは、正しい/正しくないの付いてまわる科学に根拠を求めず、非科学な物、主に「神」に根拠を求めていると思うのだ。
つまり、はなから「正しい/正しくない」という部分は捨てている。というか、論じれない事を根拠にしている。
で、長々と書いたのに本題は自信が無いから短いのでブログには書けない。
何らかの宗教を信仰している人って、この、信じる対象に対する嗅覚というか、そういうのがあると思うので、ニセ科学には引っかかりにくいんじゃないかな?
ということ。みじかっ