2007-01-22

人は究極的には楽しいことしかやらない

http://anond.hatelabo.jp/20070121223533

恋愛に関してやたら理論的に分析するのとか、不毛じゃないんでしょうか?

分析すること自体が楽しい・興味深い。その先に必ずしも何かを求めているわけではない。

例えば歴史。国の歴史を知った所で、政治家にでもならないのなら生かしようはない。ましてや古生代生物史なんかになれば、アノマロカリス想像図を知った所で何の役に立つ、ってなもんである。だが、それを知ることを楽しいと思うひとは少なからずいる。恐らく知的好奇心というものだろう。

歴史はそれでも(確定できないとはいえ)「真実」存在するだろう、と言うのであれば、心理学の類でも良い。実用性が無かろうが、確定真実存在しなかろうが、そもそも分析結果が一定でなかろうが、分析して理論を捏ね繰り回すことが楽しい、それを見聞きするのが楽しい、という人間は少なくない。

そんな楽しさに加えて、「納得」「安心」を得られるかもしれない。

恋愛は不可解だ。不可解だから落ち着かない。落ち着かないから分析する。分析すれば納得できる。納得したら安心する。素晴らしい。

> 「それは、辛いでしょうね。人を好きになれるなら、いつかいい相手に出会うさ。」的な、なんというか、多分、はてななんかではこういう意見は叩く対象になるのだろうけれども、でも、実生活では至極真っ当な言葉

鳩ダの書き込みに対してそういう言葉を言う誘因がない。

つまり、上のような励ましを言い、相手を元気にしたところで、言った方はあまり楽しくないのだ。

金にもならない状況で何で人を励ますかというと、多分「相手が喜んだら自分も嬉しい」「(発言の結果はどうあれ)励ましの言葉という『善い言葉』を言う自分が好ましい」の二つがある。

もしも元記事主が知り合いであったなら、知り合いが元気を取り戻すのは嬉しいから、励ましただろう。これは実生活やSNSでよくある。

もしも元記事主と他鳩ダ参加者との間に連帯感があったなら、仲間が元気を取り戻すのは嬉しいから、励ましただろう。2chのスレ内・板内なんかではそういう空気が出来ていることが多いが、鳩ダはそういう仲間意識クソ喰らえっぽい。

もしも元記事主が全トラバレスする宣言とかしてれば、元記事主とトラバ主に連帯感が生まれたり、励ましの言葉の影響が分かったりするので励ましもあったろう。

しかしどれも無かった。

なので励ましの言葉を言う誘因は「優しい言葉をかける私ってステキ」というのしかない。それは、感情論あっちいけなはてな空気に対して、あまりに小さかった。

なので分析っぽい記事が増える。

記事への反応 -
  • ちょっと前の「女に裏切られた」みたいな記事から、やたらと恋愛だの非モテだの喪男だののエントリーが増えた気がするのだけれども、ぱらぱらと読んでいて、なんとなく思うことは...

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