2007-01-21

うーん

ちょっと前の「女に裏切られた」みたいな記事から、やたらと恋愛だの非モテだの喪男だののエントリーが増えた気がするのだけれども、ぱらぱらと読んでいて、なんとなく思うことは、なんだかやたら分析っぽいのが多かったり、あるいは、やたらビジネスライクだったりする気がして、ただ、さらっと、「それは、辛いでしょうね。人を好きになれるなら、いつかいい相手に出会うさ。」的な、なんというか、多分、はてななんかではこういう意見は叩く対象になるのだろうけれども、でも、実生活では至極真っ当な言葉があっていいんじゃないかと、まあ、それでははてななんかでエントリーを書く意味が無くなってしまうのだろうけれどもさ。

このことでとても感じたのは、はてなに限らずだろうけれども、不特定多数向けにブログを書く人っていうのは、なんだか、理論的、分析的にならなくてもいいようなことにまで必要以上に理論的分析的に記述する気がしていて、例えば、恋愛なんか至極個人的なことなのだから、そんな一般化するようなことじゃないんじゃないかと思ってしまって、なんだか不毛さを感じたのだった。

誰かを好きになって拒否られることなんて、そりゃあ“よくある”ことじゃないか。また誰かを好きになって、また拒否られるかもしれないけれども、そのうち受け入れてくれる人が出てこないとも限らないじゃないか。とか、そういう至極真っ当なことを聞きたいと思った。

とにかく、恋愛に関してやたら理論的に分析するのとか、不毛じゃないんでしょうか?

恋愛をいろいろ分析してみて、その結果が良しと出ようが悪いと出ようが、その結果で人を好きになることが左右されるのだろうか?それで独り身の寂しさがどうにかなるのだろうか?そんな不毛なことになるのだったら、いっそそんな分析なんかやめてしまえと思わずにはいられない。

これっておかしいだろうか?

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