2014-03-20

みんなのために

「みんなのために」という発言のやっかいさ。

「○○な状態はみんなのためによくないよ。Aっていう方法をとろうよ!」という発言は

往々にして翻訳すると「私が現状嫌だからAにしてよ!」だったりする。

だったりするので、

「それなら、Aだと根本的な解決にはならないよ。Bにしない?」

と返すと非常な立腹を買う。

「○○な状態はよくない」ことには同意するものの、

その先の方法論ですれ違う。ならばお互い話し合いで結論が出そうなものなのに、

発案者はそもそも「Aという方法をとる」ことが最終目的なので状況は膠着する。

「私は嫌だからAにしたいな」とはじめから言いさえすれば、そのための便宜だって図れるのに。

こっちだって理屈えんえん並べ立てて説得する必要なんかないのに。

みんなのため、わたし個人のわがままじゃないの、って衣をまとおうとすると

「なら全体としてはBで、あなたはAって方法でOKですよ」という案も受け入れてもらえなくなるし非常に厄介。

このさきどうしたらいいものか。

  • 普通に宗教的価値観が違う人が複数いるのに、 みんなが納得する回答というものはありません。 という事実を、価値観が違うのでみんなという物はない。という事を認識できるかどうか...

  • でもそれって結局A方式は許さないB方式しかダメだ。 という事だよね。どっちも同じじゃん。

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