ある時は「究極的には、本人が満足するかどうかだけが唯一の目標だ」と許容する
ある時は「人は自らの欲求を抑圧し、社会的な存在になるべきである」と拒絶する
ある時は「必要最低限の社会生活さえ営めれば、後は自由にすべきだ」と仲介する
論理的な整合性を求めるばかりに、より大きな非論理性を得る
人は正しさの奴隷であるべきか、自由の信奉者であるべきか、快楽の探求者であるべきか
「全てに対して寛容であるべきである」という不寛容をどう解決しろというのか
Permalink | 記事への反応(1) | 00:20
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寛容か、不寛容かは極端に分かれる必要は無い。 その時々に応じて都合の良いように使い分ければいい。 他人に対して説得力を持つために一貫した態度を取らざるを得ないことはある...