2011-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20110707165810

まず「結果としてそうなっている」という意味の自発の用法が最初にあった

んで昔の敬語の基本は「相手の行動をできるだけ遠回しに表現すること」だから

「話す」→「話される(=実際にそうしたのかどうかは恐れ多くて確認できないが、ともかく我々にはあの御方が「話す」という状況を発生させたように見える)」

というロジックで自発の「~れる」が尊敬にも流用されるようになった

可能と受身も自発から枝分かれしたものと言われている

ソースは知らん

学部生時代に受けた国語学講義で習った気がするけど、確認できないか図書館行って自力で調べてよ

記事への反応 -
  • 可能と尊敬がともに「~れる」で表されるのはできることは尊敬の対象だからってことでいいんでしょうか

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