でも、読めるようにはなるべき。
何が言いたいかというと、常用漢字なんて設けると「読んで書けて当たり前」だとなってしまうわけなんだけど、実際には読めりゃいい。
必要なのは書いてアウトプットするのではなく、書いてある文字から読みを推測し、その推測を限りなく正しいものに近づけることと、ひとつの事象を多様なことばで表現できること。
漢字自体は辞書が片手にあればいい。書き順などは守りたい奴だけ守ればいい。
書いて覚えるのも結構。漢字練習帳書き倒すのも結構。
字義を知れなどと口うるさいじじいになるつもりではない。
与えられた熟語の意味を察しろと言っているのだ。それは字義ではない。字義はもっと根源にある。
繰り返す。
漢字なんて書けなくてもいいとは言わない。
書いて得する時代なんて前世紀の話だ。
書けなくていいよ、バカでもいいよ、なんて言ってない。
漢字を書いて覚えることが、あまりにも時代遅れでバカらしくなっただけなのだ。
枠組みを変えることにそもそも価値など無いのだ。
視認し、咀嚼し、推測し、表現せよ。
小学校のとき、漢字書き取りテスト0点の常習者だったなあ。