2010-11-30

漢字なんて書けなくてもいいとは言わない

でも、読めるようにはなるべき。

何が言いたいかというと、常用漢字なんて設けると「読んで書けて当たり前」だとなってしまうわけなんだけど、実際には読めりゃいい。

必要なのは書いてアウトプットするのではなく、書いてある文字から読みを推測し、その推測を限りなく正しいものに近づけることと、ひとつの事象を多様なことばで表現できること。

漢字自体は辞書が片手にあればいい。書き順などは守りたい奴だけ守ればいい。

書いて覚えるのも結構。漢字練習帳書き倒すのも結構。

でも、今日的に求められる漢字学習はそんなもんじゃない。

ひとつ漢字ひとつの熟語が対応しているわけではない。

ひとつの事象にひとつ漢字対応しているわけでもない。

字義を知れなどと口うるさいじじいになるつもりではない。

与えられた熟語の意味を察しろと言っているのだ。それは字義ではない。字義はもっと根源にある。

繰り返す。

漢字なんて書けなくてもいいとは言わない。

書いて得する時代なんて前世紀の話だ。

書けなくていいよ、バカでもいいよ、なんて言ってない。

漢字を書いて覚えることが、あまりにも時代遅れでバカらしくなっただけなのだ。

しかし、そのバカ加減は尋常じゃない。

枠組みを変えることにそもそも価値など無いのだ。

枠組みが変わろうと、そこに漢字存在するのだ。

視認し、咀嚼し、推測し、表現せよ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん