2010-09-08

2006-09-16キレイゴト』を言うために今を生きている

さて、働く場所を祇園から渋谷に移して

二週間以上経過しました。

若干やつれた感があるようですが、

元気に頑張って生きています(笑)



僕は僕みたいな人間がやっぱり好きだったりする。

優秀なタイプじゃなくて、無知ミスも多くよくおこられる。

それでも一生懸命悩んで、考えて、精一杯頑張る。

泥臭く、洗練さとはかけ離れている。

けど、一生懸命に頑張る姿が僕は好きだ。

僕はその姿勢を非難することはできない。

『それでいい、そのままがんばれ』って思う。

甘いのかもしれない。

だけど僕は、僕がチャンスを与えられ、

今こうして生きている以上、

彼らの可能性を決め付けたり、

現在価値で評価しようとは決して思わない。

時間軸での成長スピードは人それぞれ。

比例的に成長する人もいれば、放物線を描くような人も。

だけれども、たいていの場所で常に安定した成長、

結果が求められる。

このことに僕は抗いはしない。

だけど僕は思う。

結果を出すのは難しい。

だからこそ、結果を出すための過程をまず評価する。

やり方さえ間違えなければ、必ず結果は出るからだ。

あとは根気よくあきらめないこと。

そのために周りができることは、

見守ってあげることだけ。

その過程さえしっかりしていれば、

僕は何も言わない。

怠慢・傲慢・真剣さが感じられないときは

もちろん対応する。

だけど、一生懸命がむしゃらにやっているなら何も言わない。

ひとつのことだけに価値を置いていちゃ、

たくさんの人を受け入れ、許容することはできない。

もっと大らかになることが必要で、

自分が部分的、局部的に生きているということを常に意識する視点が必要だ。

時空的に、歴史的に、地政学的な観点とかね。

時代や場所により、求められるものは異なる。

が、いつの時代でも変わらず人間として大切なことがある。

それは、誰もが幼稚園小学生のときに教わること。

だけどだんだんとそれらを疎み、信じなくなる。

小さい子供がわかるのに、

どうして大人になるにつれてわからなくなるんだろう。

人が荒んでいく原因はどこにあるんだろう。

とりあえず、ざっくり言うと、

やっぱ人は社会を常に意識して生きている環境動物に過ぎない。

周りから付与された情報教育により、人格・思想が形成される。

じゃ、環境をよくしなきゃいけない。

そのためにはどうするんだ?

一人の人間ができることがあるのか?

って考えると、

やっぱインターネットはすごいと思うのだ。

たくさんの可能性を秘めている。

まあネットの話は以前に何度かしているから割愛して話を戻す。

僕は一生懸命素直に頑張っている人が大好きだ。

特に何もない人間はがんばることしかできない。

それすら奪ってしまってはいけないと思う。

自分のことは本人が一番理解している。

だけど、できない。

それでもがむしゃらに一生懸命に専心する。

とりあえずは僕はそれでいいと思う。

僕は、一生懸命生きる人をサポートし、

指針になりたいと思う。

.............................................

が、僕個人には適応しない。

上記のようなキレイゴトを言えるように僕は

厳しい基準で地位を築く必要がある。

ゼロか100か。

○か×か。

白か黒か。

イエスかノーか。

僕への評価はこんな感じの二分法で十分だ。

守りたい、救いたいから

僕は強くならなきゃいけない。

イタイコトはたくさんある。

まだまだ表出していないコトがたくさんある。

まだ僕にそれだけの器は備わっていないから。


いつの日か、『キレイゴト』を胸を張って言えるように

なる!

そのために、今を生きている。

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