「実はおかあさん隠し事してるの。お父さんには絶対内緒だよ。」
と切り出された。
ところが母親が口にしたのはまったく予想外のことだった。
「おかあさん、お父さんと結婚する前にね、大好きで付き合ってた人がいるの!」
は?何をいっているんだ。なんでそんなことを深刻に切り出すんだ。意味がわからない。
「え?そんなの普通だろー。結婚するまでに恋愛だって色々するだろ。マンガじゃねーんだし。」
と俺は思った。
そのあと聞かされたのは、いかに父親との出会いがセンセーショナルだったかというのろけ話と
結婚したことに今でも全く後悔はないということ、
若くして俺を生んだから金銭的に辛く、それを理由に叩きまくる横暴な親戚のせいで苦労をかけたってこと
あとはもうきいてるのが恥ずかしくなるようなお父さんが素敵って話だった。
そして最後に散々、「昔の彼氏の話はお父さんには絶対内緒だからね」と念を押された。
俺はそれを聞いてなんじゃそらwwと思ったものだ。
確かに中学にあがるまでの家庭環境は、その某親戚の暴力的な介入のせいで散々なものだった。
いやしかし、「お父さんと結婚する前に大好きで付き合ってた人がいる」なんてのは
そんな話と同列にならべて深刻に話すようなことなのか?必死に父親に隠すようなことなのか?
と、当時の俺にはまったくわからなかった。
考えてみれば、そのときの母親の年齢はまだ30代前半、まだまだ若いんだよな。
今自分が30近くなって多少わかるような気がするよ。
昔の彼氏の話を中学生の息子に話せて、父親にはひた隠しにするメンタリティも理屈ではわからんでもない。
俺がこの話から自分なりに学んだ事は、結婚相手に昔の彼氏のことを秘密にしてるのが良いか悪いかなんてことはどうでもよくて
審美眼が鍛えられるというのか、なんていうんだろうな。
とにかく母親はその元彼と結構いい経験をしたからこそ、父親との出会いがそれ以上に素晴らしくて運命的なものに感じたんだろう。
と、今は解釈している。
違うだろ。 この話の教訓は、 「女は秘密をしゃべらずにはいられない」 だろ。 そのためにカトリック教会には懺悔室がある。
え・・・? ちがうだろ。 本当の父親は他にいるんだよ、って話だよな・・・?