2010-04-08

カレギュウは"本物"だ

神田駅Suicaをフルチャージし、西口商店街松屋に入る。

店内で手を洗ったり、二十秒ほどトイレに行ったりしていたら、いつのまにかうとうととカレギュウを注文してしまった。

席について、食券を机に置く。

店員観察にも飽きて、壁の広告を黙読。ひとしきりセール情報を学ぶ。

退屈しのぎに牛丼価格変遷を思い返すが難しすぎる。店員の雑談中国語勉強

ふと野菜を食べたくなって、サイドメニューの生野菜を注文。

味噌汁が届く。七味唐辛子をかける。

舌にヒリヒリくる感じが実に心地良い。

注文を思い出して、簡単な暗算をする。

ちょっと手持ち無沙汰になって、また壁の広告を黙読。

それから味噌汁に戻り、またヒリヒリと味わう。

カレギュウが来た。

松屋は店員の教育が素晴らしい。

吉野家ではこうはいかない。

それだけで株価が高いのではないかとさえ思う。

もちろんカレギュウといえど肉がうまい

頼んでもいないのに味噌汁が出る。

カレギュウを書き込んでから、生野菜を食べ、また味噌汁を飲む。

ひとしきり食べてから、思った。

こいつは最高の朝食だ。

ありとあらゆる食材が、ここにある。

カレーが、肉が、生野菜が、そして味噌汁が、もう松屋専用に作り込まれている。

カレギュウをあとから出して、松屋大正解だった。

カレギュウを食べてから牛丼を食べると、実に窮屈で無理矢理な印象を受ける。

カレギュウ廉価版みたいなイメージだ。

漬物がなくて、甘くもない。

ほんの数か月前までは牛丼が駄目だなんて考えもしなかった。

だが、カレギュウを一度でも食せば、誰もが僕と同じ感想を抱くだろう。

つまり「こっちが本物」なのだということを。

むしろ牛丼は、カレギュウが登場するための伏線に過ぎなかったのではないか。

たぐい稀なる完成度を誇る実験食。真打はむしろカレギュウで、その前には牛丼はもちろん、全ての牛丼もどきが色褪せて見える。

なか卯親子丼があれば、牛丼はなくてもいいな」

コーイチはそう言っていた。

彼は根津に住んでる大学院生で、丼物にかなり詳しい。

漂流教室が、漫画歴史を変えた。

ホラーが一流の大衆娯楽として昇華し、世界中の人々のイマジネーションに強い影響を与え、それ以後のホラー漫画は、どこか漂流教室のようだった。

とすれば、松屋牛丼における漂流教室だ、と思う。

そして、カレギュウは、すべての食事におけるそれだ。

カレギュウ以後、わずか数年で僕の食生活カレギュウカレギュウ的なもので埋め尽くされるだろう。

もうつゆだく牛丼はいらない。

グッバイ・牛丼

それがカレギュウの次に開かれた世界だ。

カレギュウの具材にはまだ肉が必要だ。

けれどもそういう時代もすぐに終わるだろう。

おそらく大多数の人にとって、カレーで事足りるのだ。

カレギュウ以外のメニューを必要とするのは一部のプロだけになり、そういう食事さえもいずれはカレギュウ的なものにとって変わられるだろう。

松屋カレーがでたとき、あんなメニューじゃ満足できないという人がいた。

しかし実際には満足出来てしまった。

吉野家カレギュウはまだないが、それも時間の問題だろう。

一方、もうやってしまったのが一流のすき家である。

そしてカレギュウはすべての牛丼屋にそうしたいと思わせるのに十分な魅力を持っている。

新しい時代がここからはじまるのだ。

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20100408/1270686618

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん