2009-11-22

予算とか

多数決ってダメな決め方だよね、とか考えていたら、ふと、予算のこういう決め方は無理だろうか、という考えが浮かんできた。

その決め方というのは、単純に、国会議員全員が予算の割り振りの私案を出して合計を総数で割るというものだ。

国会議員でなく、いっそ、全選挙民でも良さそうだ、もちろん、軸になる分け方の項目自体は政党なり官庁なりが提示する必要があるだろうけど。

そもそも、多数決で一つの予算案を通すかどうかを審議するというやり方自体筋が悪すぎる。反対する側が少数なら、意見は無視して採決してしまえるし、

折角の二院制も、その気になれば衆議院だけの採決で通せるようになっているのだから、与党ゴリ押しを許容しているようなものだ(そして、実際にそうだった)。

多数決というのは、その投票権を持っている人が、全員利害を共にしているときには悪い訳でもないけど(優れているともいいがたいが)、

パイの取り合いみたいに利害が対立しているときにはかなりヤバい。政治とか関係ない場面においても、数合わせの為の派閥が形成されやすい。

っと、多数決の悪口はひとまず置いておいて、予算妄想の方に戻ろう。

国会議員全員の私案を平均するというのは、一見乱暴に見えるが、そもそも予算というのは、概算要求の時点から、激しい綱引きと妥協が行われている訳で、

別に、何かの金額がきれいな数字にならなきゃいけないってことは何もない。有ったら有ったなりに、無ければ無いなりに行政の業務が遂行されるだけだ。

一番電波強度の強い妄想としては、やはり選挙民全員が政党予算サンプルをもとに、投票所かどこかでそれぞれバイアスをかけた予算案をSubmitして、

国家予算自治体予算が決まるシステムが素敵だと思う(ネットでできれば尚いいが、不正チェックが大変そう)。

不正防止の為に、毎回、無作為に選んだいくらかの個人に対して、記入内容の事後確認を取るとかはやらないといけないかな。

ちなみに、この方法の何が素敵って、野党を含む政党が毎回選挙民に予算サンプルを提示するから、いざ政権を入手したらトンデモだったとかいう展開がだいぶ防げるだろうこと。

なんで昔の人はこういう方式を採用しなかったんだろう。

  • 予算の項目が多すぎるから各自の私案なんか出せないのでは? 逆に項目をすくなくすると大雑把過ぎて役所の裁量が多くて政治家が決める意味がなくなる。

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