祖母が亡くなってから、半年が経った。
96才だった。
寝たきりだったけど、ボケてもなくてしっかりしていた。
会話はできたから、家族みんなで仲良く面倒見ていたほうだと思う。
その際に先生から、家族の意向の確認があり、市立病院の意向を伝えられた。
それならば、安易な気持ちで救急車を呼ばないでください。
救急車の隊員は使命を全うします。
つまり自然死とは違う方向に進みます。
市立病院のベッドも限りがあります」
というような主旨だった。(と記憶。
もっともだと思った。家族も納得した。
その後、デイサービスには行けなくなった。
訪問して往診くれるので何かと助かった。この点は非常に感謝している。
でも、自然死を望んでいると伝えているのに、
薬も少し過剰に思われた。
「おばあちゃん、下痢でもこんなにがんばっているんだから入院させよう」
こう言われたときには入院させた。
「入院して輸血してもらうと元気が出るよ」
さすがにこのときは入院させなかった。
輸血すれば・・って何言っているのと思った。
その後、主治医の勧めで訪問看護にも来てもらい、週に何度か点滴をしてもらうようにした。
訪問看護の初日、翌日の点滴のために、針をそのまま残す方法がとられた。
翌朝、血管が詰まって手がパンパンに腫れた。トマトみたいになった。
38度の熱への対応。
「水枕して」
「熱を逃がすために、掛け布団は手すりにかけるように」
「水を入れたペットボトルを凍らせて脇に挟むといい」
そこまですべきなのか疑問を持った。
「おしりが赤くなっていたのでテープを貼っておきました」と言われた。
おむつかぶれではないので、次から貼らないでくれとお願いした。
点滴をしてもらう日は気疲れした。
その後、腫れなかった手の血管が使えなくなったため、腫れたほうの手に点滴をした。
そしたら容態が急変した。
祖母の最期の言葉は「肺がいちゃー(痛い)」だった。
血の固まりが肺の血管を詰まらせたようだった。
看護士さんたちを別に責めるつもりは無いし、一生懸命やってくれたと思っている。
当初、市内には訪問看護を行っている施設は無いと言っていた。
その後、調べたらあったらしく手配をしてくれた。
ときどき容態を見に来てくれた。
ケアマネージャ・ケアプランという仕組みも必要なんだろうと思う。
税金をたくさん使ってしまった。
これで良かったんだろうか。
年金をもらっていなかったけど、
もらっている家族だったら思いは変わるのだろうか。
介護ってどこまで看ればいいんだろう。
自然死ってなんだろう。
半年経っても良くわからない。
どこかに、記しておきたかった。