2009-07-10

戦え。

直情的に動くなら、余計な小細工はしないで感情の全てをぶつけろ。

理論に徹するなら、底を深くして冷徹に揺さぶれ。

確固たる攻守のスタンスを貫き通せ。

どんな状況も、なんてことない顔してスタイリッシュに楽しみ続けろ。


手を休めるな。少しでも相手の優位に立て。

どんな甘美な好機も、己に酔った間に意味は立ち消える。

攻撃の優越感を機動力にしろ。スキを与えるな。

"過程のヴィジョン"を描き続けろ。

弱みや傷を見せるな。動揺や痛みは隠し通せ。

防御を選ばざるを得ない状況であったとしても、

精神的な虚を突くことを意識から殺がせるな。

"攻め倦ねている"のではなく、"誘っている"状況を作るように律せよ。


しかし。

いくら理論武装をしたところで、

自らを言い繕った"フリ"をし、己を奮い立たせたように"思い込むの"は、

最終的には無意味だ。

それが建前であれ本音であれ、所詮自分の1ピースをいたずらに相手に提示するだけ。

何もかもが相手に見透かされていたとしたら?

その時点で敗北は決まっている。


闇雲に野心や信条を露見する行為は、結果、

手痛い形で代償を被るものであることを自覚し、自制しなければならない。

肝心なのは自分がどう在りたいか、そのためにどう動いたか、であって、

戦いにおいて、"言葉"は最終的な鎧にはならない。

身を挺して自身を庇ってくれるものにはならない。

確固たる「意思」を「覚悟」できれば。

たとえそれが"刹那の瞬間の選択肢"の前であっても、

無意識で自ずと自分の行動に現れる。むやみに曝け出す必要はない。


それでも声を張り上げるのは、

結果の先に何かを狙っているからだ、と、

相手の思考を喰う為だ、と、思わせたいからだ。

そう、切り札は最後まで見せるな。

そして、それを切り札だと悟らせるな。

相手の真意を暴け。

結局のところ、最後に笑っていられる奴がいちばんかっこいいんだ。

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