今から十数年前、自分の設計した製品が量産される立会いでのこと。量産開始の立会いは数製品めでだいぶ慣れてきた頃。電子機器がどんどんラインを流れて、完成して、段ボール箱につめられて倉庫に積みあがっていく。
本当なら、設計者として、技術者冥利につきる感動的な場面であるはずの場面で、俺は全く正反対の絶望を味わっていた。この数ヶ月間、必死で仕上げたその製品が、ふと、ゴミに見えてしまったのだ。
一度ゴミに見えてしまったら、もうダメだった。それはもう、魔法が解けたかのように、ラインを流れてくるピカピカのはずの新製品が、ぜんぶゴミに見えるようになってしまったのだ。これはゴミだ。全部ゴミだ。 ・・・会社はOKを出したかもしれない。客は喜んで買うかもしれない。その結果、利益が出て、自分の給料になるだろう。でも、ゴミだ。それはゴミだ。誰に褒めてもらおうとも、自分の価値観でそれを測るなら、それはゴミでしかないのだ。妥協に妥協を重ねたゴミくずなのだ。
俺はもうだめだ。俺はもう、この仕事を続けられない。
そして1度目の転職。
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松下やトヨタが作ってきたもの、あるいはマイクロソフトやApple社が作ってきた製品でもいい。そういうものが、まるで魔法が解けてしまったかのように、急に色あせて、くだらないものに見えてしまう瞬間。そうなってしまったらきっと、もう商売にならないだろう。商売を成功させるためには、幻想をうまく操ることが必要だということなのだろうか。まるで魔法使いのように。
そうじゃない部分もある。夢があろうがなかろうが、色あせていようがいまいが、毎日食事はしなくてはならないし、風呂には入るし夜になれば布団で寝る。起きたら着替えも必要だ。日々の生活なんてそんなもんだ。
一見、モノやサービスにお金を払っているように見えて、実は本質的には夢とか幻想とかにお金を払っているに等しい瞬間て、たくさんあるなー・・・、なんてことを、ぼんやり考えていた。
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このへんの↓話を読んで、当事者の1人として凹むこと、この上ありません。
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20090306/p1
http://notquicka9.net/blog/2009/03/07-1514.php
orz.
ん百万円する腕時計とかね。
ん百万円する腕時計とかね。 それを幻想というのか、ブランドと呼ぶのか、価値の基準には差があるよね。
「売っていた物」にみんなが幻想を見ていたのか、あなたのイメージする「完璧な製品」の方があなたの幻想なのか。 その二つに乖離があるほど仕事は辛いだろうな。 例題: 『「完...