どうしたらあの子に好かれるか、考えてみた。
それは、おれに取って、進歩だった。
いままで、おれなんかが好きになっていいものかと、ずっと自己否定を繰り返してきた。
ま、かといって、自己肯定に成功したわけではない。もっと悪化して。おれは、きっと、ずっとろくでなしだから。ろくでなしのまま生きていこう、と開き直っただけのことだ。
いまのおれに、なにができるか。
以前なら、もうちっとましな自分になってから、と、そこで思考停止していた。いまは、違う。
いま、なにができるか。できる限りのことをしてみよう。そういうふうに変わった。
で、どうしたらあの子に好かれるか、だ。
どうして、ひとはひとを好きになるのだろう。なぜか、ひどく簡単に思い至った。そして、その簡単なことを実践できていなかったから、己は非モテであったのか、と納得した。
理解だ。
そのひとを理解すればこそ、通じ合うものを見出して、惹かれ合い、恋に落ちる。
たとえ心の内に秘めたるものがあっても、理解されなければ、どうしようもない。
なにを考えているかわからないひとが、好かれるはずが、ない。
つまり、己をさらけ出すこと。
本心を語らなければ、どうして好かれようか。
おれは、いつも道化に徹していた。盛り上げることは得意だ。寂しそうなやつの背中を押してやって、感謝されたのは、いい思い出だ。
コミュニケーション能力は、無礼、非常識という欠陥があるものの、そういうことを気にせずともよい、しがらみのないやつらと仲良くする分には、問題ない。
ただし、いつも、ある意味、機械的だった。役割に徹していた。そこにいるのは、おれではなく、盛り上げ役の、道化だった。
だから、なのだろう。
あるとき、いわれたことがある。
おまえがモテないのは顔じゃないよ。性格だよ。
また、別のとき、いわれたことがある。
そんなんじゃ、女嫌いと思われちゃうよ?
しかし、いまやおれには、わからない。
どうやって本音で語ればいいのか。
作り笑いが染み付いて、笑顔以外、随分感情表現が少ないことに愕然とした。
道化が染み付いて、弱音を吐くことさえ、ままならない。
だから、おれは、悲しいことに、友達に誘われるということが、滅多にない。
誘えば、断られるということは、ない。嫌われては、ない。
けど、特別好かれることも、ない。
それが、おれ。
人間らしく振る舞う、その簡単なことが、ひどく難しい。
大体、我がままに振る舞っていたら、あまりひとに好かれなくて、だからいまのようになったのに、それさえ否定されたら、おれはどうやって生きればいいんだ。いやだれも否定してないけど。すべておれの独り相撲だけど。
どうしたらあの子に好かれるか、そのための第一歩は、ひどく、遠い。
それとも、こんなおれが、おれの地なのだろうか。そうだとしたら、このままいくしかないと、ふんぎりがつくのだけど。
せめて、おれに前向きな諦めを。
ふむ。それを全部そのままぶちまけてみたら。思うんだけど、人間なんて、ワガママ100%でもなく我慢?遠慮?(他者のために役割に徹することとか、そういうの)100%でもなく、その両...