2007-08-10

ルール

ちょっと関係ない日記に触発されて普段から考えていることを書いてみる。「規則に対する例外行為を認めるか否か」ってのが元ネタなんだけど、話題的にそこがメインじゃなかったのでトラックバックは貼らない。

俺が考えていることは、

「他人に迷惑をかけてまで規則を遵守すること(また規則の遵守を理由に他人に迷惑をかけている事実正当化すること)」は正しいか、否か。

たとえば制限速度40km/hの道路の先頭を40km/hで走って後方に大渋滞を作っておきながら、左に寄って先に行かせようともせず、ど真ん中を平然と走る車は正しいか、否か。

たとえば前方信号赤で左折と直進矢印点灯(左折と直進の車は走行可)の交差点で右折するつもりの車が、前に出て右に寄って後続車の走行を邪魔しないように配慮することもせず右車線を占有して停止線手前で停止しているのは正しいか、否か。

そもそも法律や規則は、他人に迷惑をかけない、他人とトラブルがおきないようにするという目的のための手段に過ぎないはずだ。そのはずなのに、法律や規則を遵守することそのものを目的としてしまい、本来の迷惑をかけない、トラブルがおきないようにするという目的をないがしろにしていることが多いと思う。これは正しいと言えるのか。

もちろん、法律や規則を違反するという行為は正しくはない。もしやるのならば、自己責任であり、その結果マイナスの要素が生じたらそれを償わなくてはいけない。しかし何も俺は上記の例においても、法律を違反しろ、と言っている訳ではなく、「自分は法律や規則を遵守しているのだが、その結果周囲に迷惑をかけてしまっている」と気付いたのならば、自分の行為を正当化せずに何らかの対策をとるべきじゃないのか、という話だ。法律や規則は万能ではないし、細かいところまでいちいち決めない。そんなことをしてしまったら柔軟性に欠け、返ってトラブルを起こすからだ。法律や規則は民主主義に基づいて多数決で決められるものだから、それを個人の思想や理念で勝手に違反してはいけない(*1)。しかし、なぜその法律・規則が制定されているのかまで考えず、本来の目的を忘れて行動している姿は、正しいとは思えない。

どう思いますか?行動そのものというよりは「規則の遵守を理由に他人に迷惑をかけている事実正当化している人」に対する批判ですが。

(*1) 国旗国家に対する一教師の反抗などは見るに耐えない。本来民主主義の大切さを教えるべき教員が、民主主義の決定事項を破るのは論外(反対発言をすること自体は構わないが、従うことは必要だし、従いたくないのであれば民主主義の手続きを踏んで覆さなければいけない)。話題がずれるのでこれは補足のみにとどめておく。

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