2007-05-13

旅立ち

5年前に不倫していた。

結婚後3年目、いわゆる倦怠期ってやつなんだろうか。

今考えると愛が無い結婚だった。いや、愛を見ていたのは自分だけで、配偶者は愛と書いてある看板を掲げていただけだったのだろうか。「旦那というお金を運んできてくれるモノ」が欲しかったようだ。

自分としても若気の至りというやつだったのかもしれないし、あるいは半分はそんなものとしか思っていなかったのかもしれない。でもその当時の思いなんて今の自分にはもうわからない。

配偶者から「愛する人」ではなく「ただの家族」としか扱われないストレスが、そのような行動に向けさせたと言うにはいささか虫が良すぎるのは承知の上。

それでも会社で妻のことを頻繁に話題に出す私に、彼女は好意を持ってくれた。そんな私の時間を少し自分に分けてもらえるのが嬉しかったとも言ってくれた。

ともかく今、引越しの準備をしようと、PCの中のデータを整理していて、98年にHDDクラッシュして以来のすべてのメールを眺めていたら、その当時の彼女とのやり取りを見つけてしまった。

その中の最後のメールに、こう記してあった。

矛盾したお願いを1つ。二人が離れても、たまには頑張っている、元気なあなたを教えて欲しい。』

奇麗事に見えるが、実際はこっちも別れたくなかったし、彼女もこれ以上続けると余計につらくなるのがわかっていたので、別れ際なんてそれこそ言葉どおりgdgdだったわけだ。どうやら人の記憶というのは便利なもので、そんなものでも綺麗に保存することが出来るようだ。

その後忘れた頃に、結婚が決まったとか、こっちは離婚したとか、2,3短いメールをやり取りしたけど、もう3年は音沙汰なし。

数ヶ月間という間だけど、本当に色々あった。

言葉で書くと変なものだが、自分の人生を大きく左右させる考えを持たせてくれた彼女感謝してもしきれない。たいして自分に自信も無く、自分の可能性なんてこれっぽっちだと思っていた自分の目を開かせてくれたのは彼女だった。

その後、体調を崩して何年か仕事が出来ない状態が続いたこともあったが、あのときの彼女と共有した時間がなければ、精神力をキープすることが出来ずに、どうなっていたかわからない。言葉どおり今の自分はいない。

意味の無い仮定をすると、もし自分があのままだったら。つまらない妻と子供を作るでもなく、非コミュ義兄の無神経な嫌味をイライラしながらスルーし、体力が落ちて仕事もできずに転職を繰り返していたかもしれない。

今の私は何年もかかったけど、やっと変わった。変わってきた。これからも変わろうと思う。

いろいろなものを克服したこの数年間の締めくくりとしてという訳ではないが、安い中古マンションを買えたのでここを出て行く。

この部屋の空気ともお別れだ。


今、素直に思う。ありがとう

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