2007-04-04

予定調和

典型的な指示待ち人間に成り下がっている。

かといって指示を受けてもまともに対応しようと思えないような気がする。

なんというのか、腫れ物に触るような応対があるような気がする。

単にに自意識過剰なのかもしれないが、そう思うのだから仕方がない。

最近目がかなりかすむ。

毎晩、ビタミンB1、B2、B6,B12の錠剤を飲んでいるのにこういうものは結局は気休めなのですね。

最初は乱視がきつくなったのかなあと感じていたが、このかすみ目は乱視の域を超えている。

画像処理ソフトでかなりのエフェクトをかけた状態で見えている。

ただ、朝起きたときはそのような酷い状態ではないので、やはり眼が疲れているのだろう。

朝の起床は、6時。ただし、むくりと起き上がりトイレに行って終わり。

二度寝突入

次の起床は、7時半。

でも、目覚まし時計が鳴っただけでスルー。

気がつくともう大変な時間になっていた。

とりあえず、仕事先に向かおう。

しかし、モチベーションの上がらない仕事だ。早く夕方になって終わってしまえばいいのに。

どうしてこんなに落ちてしまったのだろう。

そんなことを考えても全く前に進めないのは分かっている。どうせ前に進めないのも分かっているからね。

だから、考えたくはないけれども考えてしまう。

結局考えることに疲れてしまい、しばらく経って同じようなことを考え始める。

この繰り返し。

ネガティブ思考スパイラルモデルだ。

よく予定調和という言葉が使われるが、何のことだろう。

言葉の第一印象としては、少なくとも前向きなハマ氏ではないことは分かる。

では、どのような予定が調和状態になるのだろう。

記述している間に、検索をかけてみれば一発でその意味や由来を知ることが出来るのであるが、そんなおもしろくないことはしない。

やはり人生予定調和なのか。

しかし、目がかすみすぎる。

こんなに文字を大きくしているのにぼやけて見える。

いっそのこと、このまま視力が無くなってもいいかもしれない。

と考えると、何もかもがなくなってしまったと思っていたことが偽りであったことに気づかされる。

残念なことに、しぶとく残っているそれらは自分にとっては〃でもいいことである。

残っている視力や聴力や嗅覚や感覚などはこの際どうでもいい。

眼科に行くべきか。

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