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はてなキーワード: 長門有希とは

2007-04-29

多重婚の合法的実在

http://anond.hatelabo.jp/20070429164849

なるほど。みんなが「長門俺の嫁」と断言しながらも何の問題も発生していないのは、オタクの固執性と離れた場所で「長門有希」が扱われているからではなく、オタク投影したネガオタクの脳の外に出れないからなんだな。だから、オタクはもうニコニコ動画における「俺の嫁弾幕に対し、「やめろよ! 俺の嫁が嫌がってるだろ!」と言い返さなくていいんだ。いや、「俺の嫁が嫌がっている」という言葉も、結局は他のオタクにはそのままの意味で届かない、本人の脳から外に出ることができないネガに過ぎないのか……?

2007-03-26

最近でもないが長門有希の100冊が話題となり挑戦する人が結構いた。

その挑戦をblogに書いたり、2chで全部読んだと報告したりしているのを見てふと思った。

彼らは100冊しか読まなかったのだろうか?

たとえば「ギリシア棺の謎」はエラリー・クイーン推理シリーズ

これは単発でも読めるからまだいいが「エンディミオン」はハイベリオンの続編なのでこれだけ読んでも意味がない。

また、「星を継ぐもの」はその続編こそが面白い。

このようにちゃんと全部読もうと思ったら100冊どころか倍以上の冊数になるはず。

しかし、blog書評的な書き方をしている人たちは100冊リストに載っているものしか書いてない。

リストに載っていないから書いていないだけなのか、本当にリストに載っているのしか読んでいないのか。

もし後者だとすればそれはお粗末すぎる。

そんなんで長門好きを語るな。

2007-01-08

ライトノベルとは自己肯定欲求のはけ口なのだ

特別な女性に選ばれる凡庸な男性

このような図式がかくもライトノベルに氾濫しているのは、

けっきょくのところ選ばれない男性の欲望を

仮想の世界で昇華するための装置がライトノベルであるということだ。

つまり実社会では徹底的に代替可能で凡庸な読み手に対して、

仮想の世界でのかけがいのなさ(代替不可能性)を提供するチャンネルライトノベルだ。

その意味ライトノベルに現れる女性は、実のところ女性ではありえない。

それは読み手側の欲望の投影であり、極論すれば男性ネガであるに過ぎない。

万能でありながら主人公奴隷的な忠誠を見せる「長門有希」が

これほどにもてはやされているのがその証左である。

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