はてなキーワード: テーブルマナーとは
http://anond.hatelabo.jp/20071201140522
を読んで。
面接すればある程度は分かる。と言う人もいるかもしれないけれども、
実はその人が人格者かどうかについては、何か大きな出来事がその人の身に起こらないとよく分からない部分がある。
老子は、「忠臣というのが注目されるのはその主君が暗愚であるときで、仁や義というものが注目されるのは世の中が乱れているときだ」というような意味のこと(調べていないので文章は正確ではない)を言っていたと思う。
大石内蔵助が「忠臣」として名を残しているのは、主君である浅野内匠頭があのような形で切腹したのを仇討ちしたからであり、近藤勇や土方歳三が「義士」として名を残しているのは、徳川慶喜があのような形で大政奉還を行い、新政府軍の恨みが会津藩と新選組に向けられることになっても、最後まで「義」を通して戦ったからだ。ということが言える。
歴史に名を残した人が全て人格者だったということではないし、名も無き市井の一人物として過ごした人が、優れた人格者だったということもある。
しかしそこまで大きな出来事ではなくても、その人の言動を見ることによってどれくらいの人格の持ち主かということはおのずから量ることができると思う。
ここから先は私見になるけれども、
1.自分がお金を払う立場になった場合に、店員のことを見下すような言動をとる
2.公共の場・公共の物をわざと散らかしたり、無駄遣いするような行動を取る
3.約束を特に納得できるような理由もなくドタキャンをすることを特に悪いことであるようには思っていない
のどれか一つに当てはまるような場合は、その人には人格に大きな問題を抱えていることが多い。
書いていて少し頭の中身が整理されてきた。
テーブルマナーで、ゲストが手を洗うためのボールの水をうっかり飲んでしまった場合には、自分もそのボールの水を飲むべきだ。というものがあったように記憶している。
「人格者」というものは、周囲の人間またはその人の人生を後から眺めた人間が、深く感銘したり快い気分になるような言動をとるような人物ではないか。と思う。
でも、一見「人格者」のように見えているけれども家族の誰かや特定の人物を苛め通していたという場合もあるから、簡単には判断がつかない。
http://anond.hatelabo.jp/20070709234748
ちょっと釣られてみよう。釣りじゃないのかもしれないけど。
社会の秩序と規範を守るってのは大人であることの証明の一つなんだよね。
ほら、人がたくさんいてお金やものや情報が大量に流れる社会にルールが無かったら今君が享受しているその環境、
例えば学校には行けないし、健康や人権と言ったものもないんだよ。
極端なことを言えば君が小さい頃に他人に食べられたりしなかったのはそこに社会があったから。
で、地毛が茶色っぽいのを黒くしなきゃいけない理由、もしくは黒くすることを進められる理由は
単に社会規範を守れる人間ですよーっていうアピールってだけ。別に髪じゃなくたって何でもかまわない。
社会人だったらスーツを着る場合だってあるし、食事中のテーブルマナーだったり、ファッションだったり言葉遣いだったり芸術だったり
まあありとあらゆる種類のルールがあるわけだけど、それらのルールを守る効能の一つは社会に生きる人間としての自覚があるというアピールです。
別にその子の人格を否定しようなんざこれっぽっちも思ってないっていうか、正直どうでもいいと思うよ。
ただこれは割と対策がとりやすい髪の毛の色だから、黒く染めたら? って言われるわけです。
特にもともと規範でガチガチの学校において、「大会」という名目で社会性を匂わせるルールを考えたときに他に妥当なのを思いつかなかっただけだろね。
これはその先生の独創性が無いっていうか、何となくってのが正直なところだろうね。
もしここで、日本人の民族として特徴である黒髪がー、とか言い始めたら全然別の話になるんだけど。
話を戻して、もしその友達が茶髪でなくアルビノだったり、心身に疾患があったりする場合、多少極端にいえば障害者だったりする場合にはこんなルールはあてはまらない。
その場合はもちろん「普通の人」とは少し区別されて扱われる可能性が高いです。