はてなキーワード: ドミノとは
「無断リンク禁止」なんてもともと「エスカレータの片側は開けておきましょう」とか、「朝、先生にあったら挨拶しましょう。」くらいの意味でしかなくて、法的な強制力なんてないはず。もし管理者が「無断リンク禁止」と言えば、必ず従わなくてはいけないみたいな脅迫観念をみんな抱きすぎ。
事故や検索エンジンの巡回などで、どうしても知らないうちにリンクが張られることは避けられないのだから、「無断リンク禁止」をかかげるサイト管理者がアクセス制限にもっと積極的になるべき。なんだったらFC2やはてなでSNSでも作って、会員だけが見られるようにすればいい。
どちらにせよ「無断リンク禁止」自体は問題ない。会員制サイトとか、DL販売などであるような、アクセス制限の一形態でしかない。問題なのはリンクを張った人に法や裁判で圧力をかけようとするサイト管理者側の姿勢なのだ。無断リンク禁止条項違反に関してサイト管理者側が裁判で勝利するようなことがあれば、ドミノ式に「閲覧するにはこの口座に3万円振り込め」などといった条項にさえも法的な説得力をもたらすことになりかねないから、問題視されるのだ。
すごく好きな子と自分とその他何人で出かけたのだけど、好きな子が別の男(友人)とずっといちゃいちゃしていたのを見て以来、日常生活の様々なタイミングでそれを思い出して、黙り込んでしまうことが多くなってきた。その子にメールをしても返信こないし、恋愛としては正直もうだめなのだけれど、失恋以上にそのことがきっかけでなにもうまくいかないのがつらい。他人とコミュニケーションをとることすらもできなくなってしまった。他人と話していると突然「トラウマ」がよみがえってくる。ドミノ式にいろいろなものがバラバラと崩れていくようだ。
正直自分には何の魅力もないし、こんなつらい運命に会うなら二度と恋愛はしないだろう。6年間くらいその人のことが好きだったのだが、それが最初で最後の恋愛になると強く認識している。
やれやれ、こういうときに宗教にはまりやすいんだろうな…。そんなくだらないことを考える余裕はあるのに、なんで人と会話できないのだろう。昔と比べて明らかにコミュニケーション力が落ちた。コミュニケーション力のない俺なんて、存在意義がないじゃないか。
みんな、思考をするときは抽象から入って具体に落とし込むんだと思うけど、この文章のアラン・ケイは抽象だけで語ってる感がある。
抽象と具体というのは、たとえばワープロソフトでパチパチと文字を打っている状態が抽象。
保存せずにずっとメモリ上で作業をしていて、適当なところでディスクにセーブする。セーブが具体。
で、また文字をパチパチと打ち始める。このサイクルが長ければ長いほど大容量のメモリを持っているんだろうと思う。
抽象的な思考を保つのは難しいので、その限界がくれば、抽象的なイメージを具体的なロジックに落とし込む。保存する。
違うたとえを用いるなら、並べたドミノのところどころに仕切り板を置いておくようなもの。
でもイメージをロジックに変換するときには必ずロスが生じるので、できるかぎりは抽象を保ったままがいい。
つまりは、大きなメモリを持っている人が、いわゆる「天才」という奴なんだと思う。